さよなら、恋心


「オデッサは死んだよ」
 こつ、こつと足音を立てて現れたに、フリックは何か鈍器で頭を思い切り殴られたかのような錯覚を覚えた。 何だって、と搾り出すように声を上げ、を見つめてみるがの表情は全く変わらずに、無表情のままだ。
 マッシュと名乗った軍師に説明を受けてもどこか信じがたく、ぐらぐらと頭が揺れる。 死んだ、誰が、何で。 全く理解できなかった。 彼女の作った解放軍。 彼女がすべてをかけたもの。 それを、自分ではなく出会ったばかりの子供に預けたという嫉妬も入り混じり彼の心の中は怒りと悲しみでいっぱいになった。
 死んだなんて認めない。 嘘だろう。 そう繰り返したフリックには「まだ分からないの?」と普段の短気極まりない性格からは思いもよらない冷たい声が返ってくる。

「分からないなら、何度でも言ってあげる。 オデッサは死んだ。 死んで、水の中にいる。 どうして知らせなかったですって? オデッサの性格はアンタのほうが知ってるじゃないの。 解放軍のリーダーが死んだなんて知らされたくないって当人が言ったの」

 彼女はリーダーなのよ、当たり前でしょう。 きっぱりと言い切ったに、頭に血が上り彼は感情に身を任せ、思い切りの顔を殴り飛ばした。 いくら戦闘慣れしているといってもは中距離から遠距離の戦闘スタイルを持ち、あまり防御力が高くない。 性格上前線に出ても結局生傷だらけになったりして、誰よりも怪我が多い。 ……そんなを、彼は思い切り殴り飛ばした。 体が吹っ飛び、ドサリと音を立てて彼女は地面に倒れこんだが、それでも怒りは収まらず彼は馬乗りになっての胸倉を掴み激昂する。
 後ろからビクトールが抑えようとするが、その言葉もまるで耳に入ってこない。 がつん、と殴り飛ばしてもは抵抗しなかった。 それどころか憐憫の目をむけ、哀れだとまるで自分に対して言っているような顔をしていて――怒りばかりが増していく。 何発殴っただろう。 思い切り殴り飛ばそうともう一度腕を振り上げたが、その手はビクトールにがっちりと掴まれた。
 涙は必死に押し隠し、それでも押さえきれない感情をにすべてぶつけた。 彼女はオデッサを姉のように慕っていたのに、彼女が死んだことをこうもあっさりと受け入れて、こうもあっさりと死んだなんて口にしている。 それがどうにも許せなかった。

「――なんでだよ、お前はオデッサに恩があったんじゃないのか! なんでそんな平気なツラが出来るんだ!」

 一瞬、が怯んだが、フリックにはそれが分からない。 目の前の恋人の死が受け入れられなくて、感情に身を任せることしか出来なかった。 の口は既に血がだらりと流れており、どれほど自分が強い力で殴っていたのか改めて気づかされる。

「畜生!」

 腕を振り払い、彼女を突き飛ばすとフリックは「こんなところに居られるか!」といいながら飛び出していった。
 しばらくの沈黙が広間には訪れる。
 …そして、はゆっくりと起き上がり、口の中から出た血をぺっと吐き出した。 口だけではない。 頬は赤く腫れ、掴まれた服はくしゃくしゃに皺だらけになっている。 口を左手でごしごしと拭うとその足をゆっくりと立ち上がらせ、重々しいため息をひとつ、零した。

「……痛い」
「……、何もあんな言い方」

 困惑するようにに言うティルには首を振った。 はっきり言わなくてはいけないときが人間来るときがある。 オデッサが自分の両親の死を説明したときと同じように。 そして何よりも、彼に対してその言葉をぶつけるのは他の誰でもない自分がやるべきだとは感じていたのもある。

「……バカなやつ」

 それが、誰に対して言った言葉なのかは分からない。 の言葉は自身の心に重たくのしかかった。
 ビクトールの呆れたようなため息が耳に届いて視線を上げると、彼は膝をついてと視線を合わせ「顔洗っとけよ」と子供にあやすように軽く小突き、そうして部屋を出て行く。
 ぎり、と歯をかみ締め、押し付けられた所をぎゅうと手で押さえつけ目を閉じた。 体で感じた怒り、悲しみ、憎しみ。 彼を哀れだと思った。 そして、浅ましい自分に嫌気がささずにはいられない。



 ティルが手をさし伸ばしてくれたけれども、やんわりと口元を緩ませ首を振り、はティルの頭をぽんぽんとたたいた。 ティルは少々複雑そうに顔を上げたけれども、は赤く腫れた右頬にそっと触れると、ズキンズキンと痛みが体を駆け巡る。

「アンタが引け目感じる必要性はないんだからね、一応言っとくけど。 アンタでよかったって私は思ってるんだから、ごめんとか謝ったりとかしたら怒るよ」

 いつも怒ってるくせに。 そんな風に思ったのは内緒だ。 よくあんなに乱射してて何も起きないな、とも思うのだが、実のところ彼女は弾丸を入れていないから空気砲の音しかしないのだろう。
 けれどそのことは言わないで飲み込んで、腕を引っ張り彼女に肩を貸すとぎょっとしたように目をひん剥き、そしては「お人よし」と零した。 よたよたと二人で歩いていく。
 ぽつり、とはそのときティルに語った。
 殴られてもしょうがないんだよ、と。

「私は意地汚いから」
「でも」
「人間の感情って、嫌だね」

 嫌気が差す。 そう呟いた彼女の横顔は何かを物語っている。 ティルは意味が分からずに首を傾げたけれども、の唇は多くを語らなかった。 やがて彼女は手を放して言う。

「……絶対、誰にも言わない?」

 その口調は強く、重たく、ティルは静かに彼女を見つめた。 この表情を見るのは初めてだ。 オデッサが死んだときとは違う――憂いを交えた目に視線がそらせなくなる。 まっすぐ頷けば、彼女は自嘲しながらさらりと腕を解き自分の足でしっかりと立ちティルに告げる。

「私ね、……悦んだんだよ」
「……?」
「彼女が死んで、どこかで悦んだの」

 彼女、というのは間違いなくオデッサのことだろう。 ティルは予想つかない言葉に目を丸めた。 オデッサとの関係は少しだけしか一緒に居なかったティルにも分かるほど良好で、は間違いなくオデッサを姉のように慕っていたのに。
 それなのに「悦んだ」という。 どうして、と尋ねればは首を横に振って答えなかったけれど、殴られた頬をもう一度触れた。

「――悲しかったのに、つらかったのに、でも悦んでた自分が居た。 ……だから、殴られてもしょうがないの」
「…どうして」
「私が、死ねば良かったのに」

 ぽつりと呟いた言葉。 その言葉に対してティルはの腕を掴み無理やりこちらを向かせ「そんなこと言うな」と低く呟く。 は終始同じように落ち込んだ表情をしていたが、「分かってるよ」と腕をはがして視線を落とす。
 どうして自分が生きているんだ。 その言葉は生きたくても死んだ人間は数知れない中で、オデッサに対してもその言葉は冒涜に部類される。 同じことを言えば恐らく彼女も怒っただろう。 だってそんなことは分かっている。 分かっているけれども、それでも思わずにはいられなかった。

「……自分でも、驚いてるし、信じられないよ」

 どうして今更、こんなことを思うのか。 どうしてこんな風に、思ってしまうのか。 こんな筈じゃなかったのに。 思わず顔を覆ったに、ティルは言葉を失う。
 泣いては居なかった。 泣いては居なかったけれども、彼女は自分の感情に戸惑い続けているのは見て取れる。 。 その名前を呼べば彼女はそのまましゃがみこみ「あああああ……」と声を上げて頭を抱えた。

「信じられない! ほんっと、信じられない! もー! ちょっと走ってくる!」
「え、ちょ、ちょっと!」

 傷の手当ては?! そう尋ねるティルを無視して彼女は全力疾走で走り出してしまった。 取り残されたティルは呆然と彼女の後ろを見ていたが、やがてビクトールがひょっこりと顔を出して悪いなぁ、と呑気に言ったのをきっかけに戻ってこれた。

の手当てしないと!」
「あー大丈夫だろ。 アイツだって応急処置は最低限出来るだろうし。 悪ィな、フリックといいといい」
「あの……ビクトール。 が」
「フリックとオデッサの関係は、お前も知ってるだろ?」

 唐突にビクトールの言った言葉にティルは顔を上げ、小さく頷いた。 彼らの関係は仲間であり恋人であった。 だからこそ、彼はあれだけ怒ったのだろう。 ビクトールは苦笑した。
 その表情でティルは小さく「まさか」と呟き目を瞬かせる。 後ろを振り返ったが、彼女の姿はあるわけが無い。

はフリックが拾ってきてオデッサが助けた。 がああしているのはオデッサのお陰だ。 けどな、は」

 感情のコントロール、へたくそなんだよ。 笑って言うビクトールにティルは信じられないと呟いた。 普段のからしてみれば恋愛面なんてまるで見えないせいもあるのだろうけれど、考えてみれば悦んだという理由も一致する。
 ビクトールはため息を零して頭を振る。

「初恋ってーのは、忘れられないもんだろう? の場合は、アイツが多分それなんだろ」
「……じゃあ、悦んだ、っていうのは」
「とっくに失った気持ちが少しでも疼いて、それでああなったんだろ。 はフリックもオデッサにも懐いてたしな」

 その感情が裏切りだとでも思ったんじゃねーの。 と憶測にしては聊か確信をついた言葉にティルは驚いた。 思いのほか、ビクトールという男は周りを見ているものだ。 そして、彼は言い終わると「後は頼むぜ、リーダーさんよ」とティルの背中をばしばしとたたいた。
 暫くティルは考え込んでいた。 初恋、繰り返してみてもティルにとっての初恋は父の大事な人だ。 ……それも、余りにも昔すぎて、憧れと混同していたのではないかとすら思えるほどのものだった。 もその部類なのではないだろうかと少し思ったが、彼女の場合悪態をついたり小突いたりもしているので、自分と同じケースとは思えない。 そもそもそんな込み入った話をティルにがするとは思えなかった。

「あれ、まだ居たの?」
「うわっ!」

 不意に声を掛けられて思わず体をはねらせると、が普通にたっていた。 怪我は全く処置されておらず、手はだらりと下げられたまま。 しかし彼女は至って何事もなかったかのようにティルに話しかけた。
 …恐らくは、走ってきてすっきりしたということだろう。 単純というか、何というか。

、あのさ」
「あーあーあー、ごめんね、変な話さっきして。 いやさ、うん、あんなこというつもりじゃ」
「聞いて」

 慌てて話をそらそうとするにティルはぴしゃりと一言言い放った。 ほぼ同い年だというのに、その妙な威圧感には少ししゅんと頭を下げて「はい」と呟く。 ティルはに問う。 「本当に、嬉しかったの?」と。 は先ほどとは違う神妙な顔で「わかんない」と答え、首を振った。

「もしかして、ってフリックが……」
「! 昔の話だよ!」

 弾かれるように反論したにティルは苦笑した。 ビクトールの言ったことがすべてなのだろう。 じっとティルはの言葉を待つ。 はその視線に耐えられなくなって、瞳をそらしながらも小さな声でぽつり、ぽつりと話し始めた。



「別に、意味なんてなかった。 ……そもそも、私が解放軍に入ったとき二人は既にああいう関係だったし。 それにね、あの二人を見ているのが好きだったから、だからそれは「あんな感情」じゃないって思ってたし、自然と気持ちもなくなってった。 ティルとあったときはもう、殆どそんな感情なかったの。 本当に。 単純にあの二人と一緒に居れることが楽しかった」

 けれど、オデッサが死んだこと。 余りにも悲しかったのに、苦しかったのに、の心の影が何かをささやいた。 彼を支えるのは自分であれば、と。 そうすれば、少しは見てくれるのではないか、と。
 ばかばかしいほどの感情に、は恐怖した。 もはや忘れかけていたその感情が、疼き、大切な人の死を一瞬でも、かけらでも喜んだ自分が居たこと。 それが自分がずっと助けてくれていた恩人に対して思うことなのか、とは震え上がった。

「だから、わざとああ言ったの?」
「……別に、憎まれたいからとかじゃないよ。 誰もかれも同情してたから、言わなきゃって思っただけ。 別に、もう唯の「仲間」としか思ってないよ。 ……本当に」
「……
「なーんて、ね。 うん、ちょっとしんみりしたね。 ね、ね、これからティルは迎えに行くんでしょ? どーせ」

 フリックは酒場に居ると言っていた。 恐らく感情的になった自分を見つめなおしていることだろう。 はティルに両手をぱんとあわせて「今言ったことは全部言わないでね」と笑った。 あくまでも過去のことだから。 そう振り切ろうとするにティルは頷いて、そしての頬をぎゅうと掴む。 その瞬間彼女は言葉を失い、言葉にならない悲鳴を上げた。

「……じゃ、帰ってくるまでに治療しといてね、
「お…鬼か! アンタ傷口に塩ぬるとか!」
「走ってくるより先に治療するべきだったのに、君が走ってっちゃったのが悪いんだよ。 言わないでおくから、治療してそれで連れて来たときに言うこと考えておきなよ」

 返事を待たずして、彼はすたすたと歩きグレミオの名前を呼んだ。 は痛みを堪えるようにしていたが、ティルの背中を見つめて「変なやつ」と小さく呟く。 けれど、は直ぐに立ち上がり、言われたとおりにした。



 フリックが仲間になって、帰ってきたとき。 若干居心地が悪そうに視線をそらしたフリックに、は直ぐにお帰りだとか、何か言うつもりだった言葉を忘れてしまう。
 気まずそうに視線をそらすフリックに、何かがぶちんと直ぐに音を立てて、気づけば彼女は銃を向けていた。

 ――ぱぁん。

「……アンタ、よーくも人の顔殴ってくれたわね」
「……それは」
「言い訳無用! 上等じゃない、倍返ししてあげるわよ!」

 ぱぁん、ぱぁん、と何発も彼女は撃った。 無論確実にフリックのことを狙ってはいなかったのだろうけれども、足近くに弾痕が残る。 その音に彼の肩はびくりと振るえ、徐々に距離をつめるにじりじりと防戦の一方だ。
 止めようとするグレミオをティルは「大丈夫だよ」とけろりといい、ビクトールは椅子に座ったまま二人を傍観していた。 暫く鳴り止まぬ銃声の後に、不意に彼女の手がやんだ。 フリックは一瞬隙を見せたが、その瞬間。
 の盛大な声を上げた。

「こんの、バカ! 私が! 悲しまなかったわけないじゃないのバカじゃないのっていうかバカでしょバカ! アンタ私がどんだけオデッサ好きだったか知ってんでしょなのに何であんなこと言うのよ! そもそもねぇ、アンタが一番オデッサ好きだったみたいな雰囲気出してるけど絶対間違いなく私のほうがオデッサ好きだったんだから! 大好きだったんだから!」

「なっ、何言ってんだ! お前より間違いなく俺のほうが愛してたに決まってるだろ! 大体お前その言い草はなんだ!」
「うるさいわね! 大体アンタ力いっぱい殴るなんてそれが男がすることなの?! 信じられないそんなんじゃ絶対いつか愛想つかされて分かれてたんだから!」
「んだと?! お前こそ今銃ぶっ放してただろ! そもそもお前があんな言い方しなけりゃ殴らなかったに決まってるだろうが!」
「はぁ?! 言うに事欠いてそこ言うの?! 大体アンタが「何で俺に知らせなかったんだ!」とかバカきわまり無いこと言うからでしょ、バカだバカだだと思ってたけどほんっとおおおにバカだったのね!」


 ぎゃあぎゃあと騒ぎはじめた二人に既に先ほどの険悪なムードは去っていた。 はぁはぁと息が切れるまでの舌戦を繰り広げ、は銃口をもう一度フリックに、今度はフリックをしっかりと狙って叫んだ。

「アンタ、そもそも仮にも短気だけど副リーダーだったんだからちゃんとオデッサの意志ぐらい引継ぎなさいよ! 何のために副リーダーやってたのよリーダーが居なくなったからってそんなんでいいわけないでしょ!」
「だから悪かったって言ってるだろ!」
「何いってんの今の今まで悪かったなんていわなかったじゃないのもっと早く言いなさいよバーカバーカ!」

 子供の喧嘩に発展し始めたそれに対して声をたてて笑った人間が居た。 ビクトールである。 その笑い声に二人の口論はぴたりと止み、視線を合わせたあとは盛大なため息をついた。 フリックの眉は相変らず寄ったままだったがは一歩二歩と彼に近づき、その手をひらりとあげる。
 彼は暫く彼女の手を見ていたが、が痺れを切らして「早くしなさいよ」と急かしたので手を上げた。 それを盛大に、思い切り力を込めて、ぱぁんと叩く。 きょとんとした顔が映ったがにはもう関係ない。

「アンタ副リーダーなんだから、アンタがいなくちゃ始まらないでしょ。 しょうがないからそれでチャラにしてあげる」
「……はっ、そりゃどーも」

 ぶは、と音を立てるように笑った二人に、溝は既に無いように思えた。 は両肩を上下にあげると「遅いわよ」と言ってティルに振り返った。 ティルは笑って親指をぐっと出したので、それにあわせて親指を突き出し、にかりと笑った。
 ……彼女と、ティルだけの秘密は、そのまま当人に語られることは一切無い。 そして、その関係を傍観していたビクトールもまた、他言することはなかった。