デートに遅刻は厳禁です。
石畳を通りぬけ、真っ黒の法衣のまま彼はずかずかと突き進む。黒いコートがひらりと翻ったが既にもう待ち合わせから二十五分は遅刻している。
今日も彼女は待っているだろうかとひやりと汗をかくが、いつもと変わらずゆったりとオープンテラスになっているカフェで彼女は膝掛けをした上で本を読んでいる。
随分と走ってきた此方の様子などまるで気にもとめず、優雅に飲んでいる姿はいくら「遅かったのが自分」であっても少しばかり不快だ。
、と彼女の名前を呼ぶと彼女はゆるりと顔を上げて、読んでいた本を閉じ店内に飾ってある時計を指さした。
「志摩君、遅刻」
「せやかてな! きっちりはしんどいわ!」
はいはい、遅刻は遅刻だよーとさらりと柔造の文句をかわしては持っていたプリントを柔造の胸にぺし、と突きつけた。
くしゃりと僅かに折り曲がったが、さほど柔造も気にする素振りもせず「何や、これ」と受け取った紙をまじまじと見る。
「今日の予定」
「おまっ、最初から俺遅れるん分かっとたやろ」
「まぁ、予想はつくでしょ」
祓魔師が時間を守ってくれたことなんてあったっけかなぁ、と塾生からの付き合いである彼女は余裕綽々に鼻歌まじりだ。確かに「明日は映画を見に行くぞー!」と誘ったのは自分なのに土壇場でキャンセルをしたりだとか、穴埋めで買い物に付き合う約束があったのにもかかわらず候補生の実践として駆り出されこれまた約束を破ったりだとか。
数えてみれば恐らくきりがない。
ああ、言い返せんわー……と微妙に遠い目をしているとは随分と楽しそうにクスクスと笑った。
ぺたりと頬に手を当ててみれば予想以上に彼女の頬は冷たくなっており、遅刻をしたことを申し訳なく思うのと同時に「この阿呆」と悪態をついてしまう。柔造が悪いのになぜ怒られなければならないのか分からず「えー」と彼女は眉間に皺を露骨に寄せた。
「遅れるの分かってるんやったら自分も遅れればええやろ! 何律儀に待ってんねんこのどあほ!」
「待った? ううん、今来たところ、って志摩くんとやったことないもんね」
「あない恥ずい真似出来るか!」
ぜえぜえと肩で息をする柔造を他所には随分マイペースに「まあ、座ったら?」と自分の前の席を促す。言われるがままに座ると、何やら周囲の声が小さく聞こえてくる。
まあ、あの二人。
お坊さんと彼女?
不思議な光景ね。
ぽつぽつと雨のように聞こえてくる言葉に苛立ちが募ったが当人は全く気にしておらず「いつもより早かったねー」とのんびりと何かハーブティを飲んでいる。何のハーブティーか柔造には分からなかったが透明なポットに入っている当たり店の雰囲気にあった、落ち着いた雰囲気だ。
店員の問に「緑茶をホットで」と頼むとじと、とを睨む。するとは気づいたように顔を上げて、にこり、と柔造に笑顔を浮かべた。
「志摩くん、映画今日こそは見ようね」
「……お前何年も前んこと、引きずりよるなあ……」
「服そのままでいいの?」
「あ」
別にそれでデートでもいいけど。のんびりと笑ったにデート、と復唱する柔造。
二十を過ぎた男女の会話にしては些か歪なものではあったが随分とまったりと、ゆったりとしている。現状把握を漸く柔造はすると、がくりと頭をうなだれた。
どう考えても確かにデートだ。ただし、相手を待たせて、しかもその上に自分の格好は法衣に祓魔師の証のコート。仕事と区別がつかないような佇まいだ。
確かに周囲の声が言うのも分かるが、もう破れかぶれだ。
「」
「んー」
「映画、何時からや」
「後1時間ぐらい後」
もっと遅刻してくると思ったから。呑気に言ってくれる本日のデートの相手に思いきりデコピンを食らわすとは随分と驚愕したのか目を丸めた。
カフェミュージックが流れる中で、ゆったりとした空気を楽しんでいるに居心地が悪いのか柔造は眉間に皺を更に寄せる。
「俺、着替えてくるわ」
「絶対戻ってこれないに一票」
「ならどうせえっちゅーねん!」
「んー、じゃあ」
買い物にこれから行って、服見立てて、そのあと映画はどうでしょうか、先生。
にこり、とはこれでもかと言わんばかりに笑顔を浮かべた。
カップの中に入った緑茶はまだ熱い。それ以上に耳が熱いのを柔造は感じている。先程からペースを完璧に彼女に握られているからかもしれないが……どちらにしてもだ。叩きつけられた紙……基映画の広告を見つめ、柔造ははあ、とため息を付いた。
「いけずな女やな」
「褒め言葉?」
「ああ、もうええ。めんどい」
「祓魔師も大変だねー」
くすくすと笑い、ハーブティをごくり、と彼女は飲み干した。その色から察するにローズヒップティーといったところだろう。
慌てて柔造も立上り会計を済ます。せめて奢らせろと行っては見たものの「遅刻した人に払わせるのはねえ」とはわらっていうばかりだ。
それから、店を出たら彼の腕をぐいとつかむ。
がっしりとした腕に手が触れた時一瞬びくりと震えたがあえて気にしないふりだ。
「おい!」
「遅刻したんだから、付き合ってもらうよー」
柔造には黙っているが、が待ち合わせを好むのには理由がある。
律儀な柔造らしく、何があっても走ってやってくるのだ。そして頭を下げる。すまん、と。
仕事なのだから仕方が無いというのに、そして祓魔師という職業を理解した上で柔造と長く友人なのか恋人なのかきわどいラインを日々過ごしているからすれあ「いつものことなのになあ」と笑ってしまうのだ。
それでも、短気な柔造が頭をさげるのが珍しくて、楽しくて、存外自分がSだなあと思いながらも待ち合わせをやめられない。
「ねー柔造くーん」
「なんやその呼び方」
「映画楽しみだねー」
「せやなあ」
「服、おしゃれなのがいいかなー」
「……お手柔らかに頼んます」
ああ、これだから待ち合わせは嫌いじゃない!
「じゅーぞーくーん」
「ああもうキモイ。今度はなんや」
「なんかこうやってると本当にデートみたいだねえ」
「は?デートやろ」
お前、今デート言ってたやん。けろりと言う柔造に、は硬直し、両足を止めた。
二歩、三歩、前に行った柔造が彼女へ振り返る。
「……うわあ、反則だ」
「は?」
「志摩くん本当女の子落とすの上手いねー」
柔造は何を言っているのだろうと眉間に皺を寄せて、はあ、と気のない返事を返す。
面倒見もいい。祓魔師としての収入は十二分。大家族の長男が亡くなっている流れからの跡継ぎとして責任感は人一倍。少々短気を含めてもなかなかの上物なのだろう。
「はやく結婚しなよ、本当に。心配だよ」
「ならお前が結婚せえ」
「まだ付き合ってすらいないのに?」
「ほな、俺と付き合って、ほんで結婚して下さい」
ほい、握手完了。
ひょいと手を握られて、随分とあっさりと言い放った柔造に何度も何度もは瞬きし、終いには腹を抱えて笑い出した。
突然笑い出した彼女にぎょっとして振り返る人々と、同じようにぎょっとしたように凝視する柔造がよりおかしくて、また笑う。人通りの多い場所だというのに、そんなこともお構いなしではくつくつ、と笑い、そして涙を拭う。
笑いすぎて背中が痛い。
「ムードゼロ、かっこ良さゼロ、遅刻してきて祓魔師の格好で、しかもプロポーズなのか付き合いなのか分からないなんて」
こんな告白初めてだよ。笑い転げるに照れくさいのか口元を抑え「ああもうお前もう黙れや」とぷいとそっぽを向いた柔造が何だかとても二十いくつには見えないもので、可愛らしい。
ぎゅう、と掴めば「何するん」と慌てた声が返ってくる。
もう何人もの異性と、腕を組んだりくちづけたり、色々なことをしている年齢なのにまるで中学生だ。ぷ、と吹き出せば笑うなと空いた手でべしん、とは叩かれる。
「で、どうなん」
「何が?」
「此処まで言わせておいてそれは無いやろ!」
「んー、じゃあ」
次の待ち合わせに、遅刻しなかったら答えるよ。
にこり、とは笑ってするりと柔造から離れて「服、そこの店で買おうかー」と随分と何事もなかったかのように先に入ってしまう。あまりにスマートな流れに思わずがくり、と柔造は肩を落とした。
だが、離れるわけにもいかないので後ろをついていけば彼女はニコニコと笑っている。
次の待ち合わせには遅れるわけにはいかないと柔造はその瞬間心に決め、緩やかな「恋人未満、友情以上、婚約者候補」と買い物と映画を楽しんだ。
結局、が「恋人であり婚約者」になるのは、この日から丁度半年と三日を過ぎた随分と雪の降った日の朝の出来事であった。
「なんでいつも遅れてたの?」
純粋なの問に「あー」と少し困ったように柔造は言葉を濁したが「仕事っつーのもあったけど、お前が待ってるの見んの嫌いやなかったし、後返事怖かったしなあ」としみじみと言い返した。
要するに、二人揃って待ち合わせが好きなのだから救いようがない。
そうしてまた待ち合わせをして、彼女が早く来て、彼が何分も遅れて、同じ会話をして、日常を繰り返す。
「いこっか、柔造君」
変わったのは呼び方だけで、変わらないのは態度で、いつもと同じで違う日々が半年と三日目にして、やっと始まる。