あぶなっかしい君のために
現像された写真をとり、暗室から一旦出ると学は一枚一枚それらを確認していく。
被写体があって写真を撮るのはここ最近始めたことで、未だに慣れない面が強い。動いているものを撮るのは矢張り難しい。
円堂がボールを止める瞬間はいつもより綺麗に撮れた気がするけれど、壁山と栗松が前線に駆け上がっているシーンはぶれてしまって何が写っているのかも分からない。
いっそのこと三脚を部室から持っていって撮ったほうがいいのだろうか?
ぼんやりと考えに耽りながら階段を白衣のままトン、トンと下りていく。写真に目が行ったままだった彼女が悪いのだろう。
けれども前方をちゃんと見ていなかったのはだけではない。どん、と男子と肩がぶつかり合う。
次の瞬間彼女の体は宙に浮いた。階段を転ぶよりも前に、誰かの手が伸びる。
幸運にも痛みはない。恐る恐る目を開けば溜息が耳に届いた。
「……危ないなぁ、前を見ないと怪我するよ」
想像していなかった声に学は絶句した。どうして彼がここにいるのか、彼女には分からない。
秋の紅葉のように赤いその髪はさらさらと学の首筋にあたり、少しくすぐったく、片手で彼女を支えている腕はが予想していたよりも遥かにしっかりしていた。とん、と階段に立たせられると「大丈夫?」ともう一度彼は尋ねる。
「あ、うん……大丈夫」
「んー……本当に?」
「ほ、本当だし!」
「そう? ……でも君の“大丈夫”はいつも大丈夫じゃないよね」
失敬な話だ。けれど反論が出来ない。
ぐうの音も出せず学が俯くと、彼は困ったように笑い、すべるように階段を降りて一枚一枚写真を拾っていく。
そこで漸く彼女は現実に引き戻された。ここは雷門中学だ。そして彼は、雷門の生徒ではない。
そのオレンジ色の私服が何よりの証拠で、けれど彼は何食わぬ顔で今ここにいる。
「ああ、これは円堂君だね。よく撮れてるじゃないか」
「か、返してー!!」
「どうして? 君の見たものを俺も見たいだけだよ」
惜しげもなく言い切ったヒロトは一枚、また一枚、写真を拾ってはその画像を確認していく。
ブレているものもあるというのに、彼は構うこともしない。
余りの恥ずかしさにが「ヒロさんストップー!」と声をかけるも、それは黙殺される。
が、三十枚近く拾った後、最後の一枚をヒロトが手を伸ばし、写真を確認すると思わず彼は目を開いた。
「何かあった?」
「……俺?」
「!」
慌ててそれを奪い取ろうとは階段を駆け下りる。白衣がひらひらと彼女の足を追うかのように翻った。
「返して!」と慌てるを気にしないようにヒロトはもう一度その写真に目を落とした。
その服を着ているのは、間違いなく自分だ。そして、こんな自分は優しい顔をしていたのだろうか、という疑問にいきつく。
……いつの写真かも、分からない。
懇々と考えていると背中からぴょんぴょんと彼女が跳ねて「返して!」と奪い取ろうとする。
それをよけるように写真を高く上げて「どうしたのこれ」と彼は問う。
「俺、撮られた覚えないんだけど」
「う、それは」
「教えてくれなきゃ返さないよ?」
「……た、タイマーで、偶々……」
「ふーん」
写真の束を返すと少し考えながら「俺ってそんな顔してたっけ?」と思わず思ったことをそのままダイレクトで学にヒロトは尋ねた。
写真の束をは白衣のポケットに仕舞い込むと「え」と思わずヒロトの質問に問い返す。
もう一度ヒロトが聞くよりも前に、うん、と肯定を意味するように首を縦に振る。
「……ヒロさんは、こういう顔を偶にしてる」
「……そうか。じゃあそれは学にだけなんだろうね」
「……意味わかんないし」
「そう? じゃあ教えてあげるけど、つまるところは特別、って意味だよ」
じゃあ、また。言い残してそのままヒロトは階段を下りていく。
どうして彼が此処に居たのか、何故居たのか質問することも忘れ、は呆然と立ち尽くした。
折角取り返した写真はひらひらと虚しく床と口づけを交わし、沈黙を守る。
彼の言葉の真意が分からない。いや、本当は分かっているのだが分かりたくないのかもしれない。
耳まで熱くて、そのまま彼女はしゃがみこんでしまった。
すれ違った学生が驚いた顔をしていたが、それも気に留まらないくらいに、彼の言葉が耳にこびりついて離れない。
「……うう、ヒロさんはいつもワケわかんないし……!」
写真の中に居るヒロトが小憎たらしいほどに優しい顔をしていたのもあり、は火照る顔を抑えて「あぁぁぁ……!」と小さく唸った。ヒロトが校舎を出る際、口元が緩み、やがて堪えきれなくなったかのごとくクツクツと笑い、「面白いなぁ、本当に」と呟いたことを、彼女は知らない。
――
2010.02.16