世界じゃそれを恋と呼ぶ



、少しいいか?」

 鬼道が彼女の名前を呼ぶときは大概「何か起こったとき」だ。基本的に彼らの関係は平行線上で恋愛のれの字すら見えることがない。それというのもサッカーを最優先事項として捉えているサッカー部の部長のせいだろう。
 彼を想うマネージャー達の構図を見ているとそこから自分達を省みることなど忘れてしまいついつい其々の恋路がどうなるのか心配を含めてみてしまう。表には出していないが恐らくのところサッカー部員にはマネージャー二人が部長へ傾倒しかかってる思いを抱いているのはばればれだ。つまり、にとっても鬼道にとっても、自分の思いに気付くより先に二人の思いを知っているから「自分はあの二人とケースが違う」となり、恋愛感情があるかないのかという「考え」にすら至らないのだ。
 スコアブックに書かれた本日のシュート練習でのゴール本数を書き込みながらは「はぁい」と返事をし、最後の豪炎寺のシュートを確認の地鬼道の元へと走った。

「どしたの?」
「スパイクの紐が切れた」
「替えは?」

 鬼道は首を横に振ると「新しいのをいい加減買おうとは思ってたんだけどな」と小さく溜息をついた。用件に関しては部室に替えの効くスパイクの紐があるかないかという質問らしく、彼女は首をかしげる。

「あれ、でもスパイクの紐って別のでもいいの?」
「穴に通せれば別のでも大丈夫だ。元々スパイクのヒモは消耗品だからな」
「へぇ、そうなの? ちょっと待ってね。探してくる」

 鬼道はスパイクを脱ぐと「困った」と誰に言うわけでもなく呟きぶらぶらとスパイクをぶら下げる。フィールドでは一瞬の飛び出しを体に覚えさせるために中盤の半田へ風丸が容赦のない速いパスを送り出している。かれこれ二十本は同じことを繰り返しているが、流石バランス型というべきか、半田は物事をそつなく「適度」にこなすことが出来ている。
 彼のその器用貧乏がちなところを何かに活用できればいいのだが。顎に手を当ててそこまで考えていると足音が一つ増える。先ほど部室に探しにいったが帰ってきたのだろうか。

、あった――……」
「あ、お兄ちゃん」

 その足音の主はではない。大きなウォータージャグを両手で抱えていた妹との姿だ。ひょこと顔を覗かせて首をかしげている。今までドリンク作りの往復をしていたのだろう。ウォーターボトルとウォータージャグを其々使っていても減りは早い。
 間違えた恥ずかしさに思わず視線をそらすと春奈は「先輩なら部室で探しものしてたよ」と気にする素振りもせずに言う。マネージャーの代表格の木野といえば先ほどから次の練習メニューのコーンの用意だとか、使われたタオルの回収だとかに追われていて常に動き回っている。

「……休んでるんじゃないのか?」
「まっさかぁ、あれだけ「ない、ない」って探し物してたからそれはないよー」
「……」

 ない、と言い出したのは自分だ。けれども探し続けているのはで、彼女一人居ないだけで他者、主にマネージャーの仕事配分がおかしくなる。雷門夏未は仕事で忙しいし、秋と春奈だけで回すには雷門サッカー部は大きくなってきているから、そういうわけにもいかない。
 ゆっくりと彼は立ち上がると「見て来る」と紐の切れたスパイクを履き、ずるずると足を引きずるようにしてフィールドを後にした。取り残された春奈は「何なんだろう?」と僅かに首を再びかしげずには居られなかった。


 前述をした通り、彼らの間に「恋愛感情」というものは見えない。なぜなら、円堂を中心とした恋愛模様と同時に彼らもまた「サッカーが好き」でそれを優先しているからである。鬼道の場合はそれだけじゃない、帝国メンバーの想いを受け継いでいる。使命感にも似た「自分がやらなければ」という焦りもあるのだろう。浮ついた感情は彼の中にはない。
 マネージャーと選手。そんなありきたりな関係の一つに過ぎない関係。
 鬼道が部室に入ると彼女はいくつもある段ボール箱を開けているところだった。部室の中が茶色い箱で占拠されている。


「なんだこれは」
「わ、鬼道君! ごめんね待たせて」
「いや」
「んー……駄目だね、紐ないっぽい」

 ぱん、ぱんと手についた埃をはたきながら申し訳なさそうに言うに彼は首を横に振った。しかし紐が切れてしまっては今日は練習不可能だ。は段ボールを再び戻すように仕舞い始め、次々に片付けられていく。どこの引越し作業なんだと思うほどの量に思わず鬼道は手を伸ばすと「埃っぽいから汚れるよー」という嗜める声が届く。
 のジャージは既に埃で汚れており、何度も立ち上がったり戻ったりの作業を繰り返しているからだろう、僅かながらに汗をかいていた。引越しや片付けは体力を使うというのも案外間違っていないらしい。


「紐、予備用とか今度から買って置かないとねぇ。備品含めると予算の問題もあって難しいかなぁ、秋ちゃんに聞いてみるね」

「んん?」

 鬼道に振り返ると「あれ」とは首をかしげた。彼の足には紐の切れたスパイクが履かれており、その違和感からか彼の眉根は顰められている。試合練習のことを考えると残り時間はもうあまり長くない。
 暫くは考え込むとぽん、と手を叩いた。

「じゃ、今から私買いに行こうか?」
「……大丈夫か?」
「えー何その沈黙ー。秋ちゃん行っちゃったら部活の用意間に合わないし、春奈ちゃん今日四時までだし、夏未さん仕事だし、自転車かっ飛ばせば大丈夫だよ」
「……いや、間違ったものを買って来そうで」

 以前スポーツドリンクを薄めることなく出して鬼道に怒られたりだとか、空気入れと思って買ってきたら何故か芝生に水を撒くための道具だったりと、ついうっかりを何度も繰り返しているのことだ、今回も間違えてくる可能性はある。う、と彼女が息詰まると鬼道は溜息を零した。

「……今日帰りに紐を買うから、お前もついてくればいいだろう?」
「えっでも練習……」
「円堂には言ってある。春奈が途中で抜けるんだ、手伝いぐらいはさせろ」

 それ、本人に言ってあげればきっと喜ぶのに。が思わず呟くが、鬼道は「うるさい」と一蹴して直ぐにぷいと顔を背けてしまった。不器用な人だ。段ボールを一つ、また一つと片付けていく中で会話は途切れ途切れだったがふとが思い出したように「そういえば春奈ちゃんさっきタンク持って行かなかった?」と首をかしげた。
 飲み物を配るタイミングのことを言っているのだろうか。小さく鬼道が頷くと「秋ちゃんいるから大丈夫だと思うけど、ここ終わったら手伝わなきゃねー」と呑気に直ぐに段ボールを一つ棚の上に乗せた。
 よく喋り、よく手を動かす奴だ。口八丁手八丁というのはこういうことなのだろう。段ボールにレガースを仕舞いこむと彼はひょいと持ち上げ、仕舞う。


「……ごめんねー本当見つけられなくて」
「お前のせいじゃない」
「でも急いでたでしょ?」
「紐が切れてる状態で練習は出来ないからな」

 が届かない三段目の棚に仕舞おうとするものだから「三段目でいいのか」と段ボールを受け取り彼は返事を聞かずに入れた。その何気ない動作に「ありがと」とは礼を言いながら小さく唸る。何を悩んでいるのかはわからないが納得をしているようには見えない。
 ふ、と鬼道はあることに気付く。待っている間の時間は嫌なものではなかった。確かに急いではいたが「大丈夫だろう」という妙な安堵感を覚えている。それは何故だかは分からない。
 を見れば彼女は最後の一つを一番下に仕舞っていて「終了!」と埃を叩いている。

「戻るぞ、
「あ、うん」

 戻れば丁度休憩中だったのかボトルに入った水を一気に飲み込もうとするメンバーと、タオル配りに奔走しているマネージャー二人の姿があった。
 思わずが「ごめん」と謝れば事情を聞いたのだろう秋が「紐確か一昨日宍戸君のが切れちゃって使い切っちゃった筈だよ」とそっと教えてくれる。ただ、もう少し速く教えてもらいたかったのが本音なのだがそっかぁと軽く頷きメンバーが拭き終わったタオルを回収に回る。
 走り回り、ボールを動かしていた彼らの汗は日差しのせいもあってタオルをいつもより湿らせていた。

「よーし、休憩終わりー! いくぞ皆ー!」
「おお!」

 駆け出していった彼らを見送りながら、ふっと傍に居た鬼道には振り返る。突然振り返られたものだから鬼道は僅かに驚いたが、表情にはそれを出さないでおいた。彼女はにこ、と笑うと「着替え終わったら、待ってて」と言う。一瞬何のことか分からなかったが、直ぐに買出しのことだと分かると僅かに頷き返す。
 別に隠しているわけではないし、特別な「何か」があるわけではない。
 けれど、何となく。そう、何となくだ。妙に気恥ずかしくて、思わず頭を何度か振る。その姿を見かけた豪炎寺が僅かに首をかしげた気がするが、見なかったことにしておいた。


「あ、先輩さっきドリンクの粉切れちゃったんですよ〜」
「ええ、またぁ?!」
「最近暑いですもんねー」
「製氷機、やっぱりサッカー部も欲しいよねー、いいなぁテニス部」

 雷門といえばテニスの名門校だ。プロテニスプレイヤーを何人も輩出して、中学部の制覇も何度もしている。そのせいか、OBやOGの寄付により部費以外に洗濯機だの製氷機だの合宿費を免れているらしい。他の部活動からすれば一つ抜きん出ている部であるのも事実だ。
 陸上部もそこそこ金銭面で余裕があると以前風丸が教えてくれたものだが、残念なことにサッカー部は部員が部費確定の時点で滑り込みぎりぎり。昨年度の部費は秋曰く四千五百円というかなり微妙な値段だ。
 お陰でが来たときにはFKの壁もなく、帝国と木戸川清修から来た鬼道と豪炎寺に其々に衝撃を与えたという。今でこそベンチ、ベンチ外の部員……それこそ円堂がヘッドハンティングしてきた他の部の連中もいるが、しかしそれでも回していくのが手一杯だ。
 鬼道が狼狽を隠しきれて居ない状況だということを微塵も気付かずタオルを回収しボトルドリンクのキャップを一つ一つあけて見事に空になったそれをチェックし、一つ一つ籠の中に入れながらは「うーん」と僅かに唸った。

「テニス部に製氷機、貸してもらえるように頼んでみるかなぁー。こういうとき秋ちゃんの交渉力があればどうにかなりそうなんだけどねー」
「木野先輩交渉得意ですもんねー、夏未さんは……公私混同しませんし」
「だよねぇ」

 事務作業が得意ではあるが、生徒会長であり理事長の仕事を手伝っている夏未は経営面に関しても精通しているせいで公私混同は一切ない。部に導入してくれる可能性は少なく、その場合は理論を詰めて嘆願書を出すしかない。は首を何度か捻ると「秋ちゃん、後やっとくから交渉頼んでいい?」と籠二つを器用に持って片方を洗濯機に、もう片方を洗い場に持っていこうとする秋に尋ねた。
 秋は二人の話を聞いていたうえで「私そんな交渉力ないよ?」と一応断りに似たツッコミを入れるが「何言ってるの!」とと春奈の証言で一蹴されてしまう。こういうとき秋は毎度自分にストレートな好意を見せてくれる二人に振り回される傾向にある。
 褒めすぎている気がする。自分はそんな大それた人間じゃない。……といったところで、その意見は却下される。

「んー、じゃあ、聞いてみるね。ちゃん、じゃあ洗物と洗濯お願いね。音無さんは皆の練習状況スコアに記入お願い。この後シュート練習だから、どっちからどっちの足で、どこを狙って入れたか外したかまで。多分前のページにさっきの練習の状況書いてあるからそれ見ながらやれば出来ると思うよ」
「……木野先輩、さすが過ぎます」
「秋ちゃん、マメってレベルじゃないよそれ……」
「あはは、そんなことないよ。じゃあちょっと行ってくる」

 ぱぱっとテニスコートへと向かった秋に「ちょっとというレベルではない」と思わずは呟き、それに思い切り同意するかのごとく春奈はぶんぶんと首を縦に振った。
 恐らく秋は「楽しい」のだろう。こうして多くの人間とサッカーが出来るのが。そしてその中心に部長の円堂が居てくれるのが。彼女の好意はとても分かりやすいものだが、部内の男子達にはどうやら通用していないらしい。うちの部員、あんぽんたんだから……思わずはずらっと並んだメンバーを振り返り頭を抱えたくなった。
 しかしこの量を今まで一人で全部切り盛りしてきたのか、と思うと気が遠くさえなってくる。ほぼ今でもマネージャーの主力としては秋の力が大きい。しかもそれできちんと仕事をこなした上で全員に休憩時間以内におやつのおにぎりを作ったりだとか、帰り道にたこ焼きを提案する心構えさえ持っている。彼女はきっと奥さんにしたら幸せになれるだろう。

「私が男なら絶対秋ちゃん幸せにするんだけどなー」
「あっ、駄目ですよう先輩。それは私も同じこと考えてますから!」
「夏未さんとももっと話ししたいんだけどねー」

 よ、とボトルとキャップが其々分裂された籠をは持ち上げ続けて洗物のタオルが山のように入れられた籠をもう片方にも持つ。思っていた以上に重たい。思わず「重っ」と呟く程度には重たくて、よくもまぁ秋はこんなものを軽々ともてるものである。
 春奈もスコアをぺらぺらと捲ると「そういえば先輩買出し今日行くんですよね?」と気付いたように言った。靴紐がないとあれだけああだこうだと言っていれば買出しにいくのは分かるだろう。ドリンクの粉もついでに買わなきゃねーとが苦笑しながら言うと春奈は視線をフィールドに向けたまま「お兄ちゃんとデートですか?」とけろりとして言った。

「買出しはデートとはならないんじゃない?春奈ちゃんだって染岡君と行ったじゃん」
「もう、先輩も鈍感ですねー、あんまりキャプテンのこと言えませんよ!」
「鬼道君はサッカーと家族と帝国と雷門しか見てないような気がするなー、ほら、サッカーバカばっかだし」

 サッカーバカ。程よくみんなサッカーバカである。円堂を筆頭に、クールな豪炎寺も、知略が得意な鬼道も、皆サッカーバカ。それがまとめるのに相応しい。

「先輩」
!何喋ってるんだ!」
「はーい! ごめん春奈ちゃん、この洗物と洗濯終わったら後でね!」

 鬼道の容赦のない喝に慌てていきのいい返事をは返すと足早にフィールドを去っていった。
 春奈がフィールドに視線を向けるとそこには中盤からの連携練習からか飛び出す練習を何度もしては檄を飛ばす鬼道の姿がある。半田と入念にフォーメーションの話をしあい、サイドの風丸にもっとあがれ、と指示を出し、連携の練習を何度も何度も繰り返す。FW陣とのシュート練習に呼ばれ、円堂を置いた上での練習が開始される。
 中盤は常にどこにどうやってボールを蹴るのかちゃんと意識するように、という鬼道の檄を聞いた上でしみじみと春奈は小さく呟いた。

「あんなに練習に集中してるのに先輩のことはちゃんと見てるんだもんなぁ、お兄ちゃんも鈍感だなぁ」

 彼らの関係は平行線上で恋愛のれの時すらない。けれど、第三者から見ればそうでもないのかもしれない……のだが、生憎「サッカーバカ」と「サッカーバカ候補生」なので、仕方がないのかもしれない。
 はぁ、と小さく零した春奈の溜息は誰に聞かれることもなく、スコアの紙をぴらぴらと揺らすだけで終わってしまった。
 練習が終わればデートだというのに、彼らはその自覚もムードすらない。見ている側としては応援したいのだが、本人が感情に気付いてすら居ない。
 問題は山積みだ。下手をすれば円堂・秋・夏未の三人よりもタチが悪いかもしれない。まったく、世話が焼ける。思わず春奈は溜息をまた零したが、口元がにやにやと緩むのを止められなかった。



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