「……」
扉の前で何度かはぐるぐると行き来を繰り返す。その姿を偶然豪炎寺が見かけたが、彼は何も言わずそっと悟り何事もなかったかのようにサッカーボールを片手に部屋を出て行った。
昨日あんなに取り乱した鬼道を見たせいだろうか。彼は部屋にまだ閉じこもったままで顔を覗かせてくれてはいない。
『 死 ん だ 』
その言葉は漸く塞がりつつあった彼の心を再びばっさりと切り刻んだ。取り乱し、空港で嗚咽を漏らし泣いた彼の姿が彼女の脳裏から離れない。どうすればいいのかも分からず、声をかけることもできず、彼女は何度も何度も往復を繰り返す。
は鬼道の傍に居てやってくれ、と円堂が気を使ってくれたのは非常ににとって見れば有難いのだが、逆にどうしたらいいのか分からない。こういうときに傍にいるべきなのは同じ帝国時代に影山から教えを受けていた佐久間や、実妹である春奈であるべきじゃないのだろうか。
けれど、それに対して意見し彼らを送り出すことが出来ない自分が居るのもまた事実で心底そんな自分を嫌悪しながらははぁ、と嫌そうに溜息を零した。そして十七回目の往復に足を一歩踏み出したとき、扉がゆっくりと開く。ばし、と彼女の顔に扉が当たったのは偶然かはたまたいつまでもグルグルノックすることも出来なかった彼女への報復かは分からないが、思わず声にならない声をあげると扉が静かに移動し、代わりに少年の姿が扉から飛び出してくる。
「き――……どう……くん」
「……か」
ほんの少しだけかすれた声に彼女の手は強張った。取り乱し、涙し、苦悶に顔をゆがめた彼の姿は彼女にとって「はじめて」だ。真帝国の一件で佐久間や源田に対しての負い目を感じたときですら、彼はの前では泣かなかった。意地っ張りだといえばそれきりになってしまう。そんな鬼道が僅かだけ見せた戸惑い。怒り。悲しみ。
を見ても驚くことも無かった彼は彼女に背を向けて宿舎の階段を下りていく。
「もう……いいの?」
「……ああ、心配をかけたな」
「……そう」
咽喉にねっとりと張り付いたような違和感。上手く言葉が出ないを鬼道は見ようとさえしない。近くにいるのに、大きな隔たりがあるような気がした。元々男女というものはお互いに川のようなものが流れている。はるか彼方の女、だから彼女。だから彼氏というのだという。はぎり、と拳を作ると鬼道の後ろを少し急ぎ足で追いかけていく。
隣に立つことはしない。一歩二歩少しだけ下がって彼を追いかける。
「……」
「……ごめん、なんにも出来なくて」
ひょっとしたら、邪魔になっているのではないだろうか。そんな疑心暗鬼にさえなってしまって、ぐるぐると幾つも解いても解いても終わらないパズルを続けている錯覚を覚えてしまう。
鬼道は今何を考えているのだろう。彼の力になれることはないのだろうか。どうすれば彼は自分に話してくれるのだろうか。沢山いいたいことがある筈なのに、の唇からは何一つとして紡がれない。ただ、声にならない吐息がヒュー、ヒューと刻まれて終わってしまう。鬼道は不可解そうな顔をして、そして再び前をむく。
その背中をただ、は見続けた。
ごめんなさい。何も出来なくて。
ごめんなさい。何もいえなくて。
ごめん。ごめん。
上手く言葉に出来ない自分に腹を立て思わず彼女はぐっと拳を作り終には俯いてしまった。顔が上げられない。涙がじんわりと滲んで来て、慌てて思い切り瞼を閉じて涙を引っ込めさせる。本当に辛いのは、本当に泣きたいのは誰かということを思い出してブンブンと何度も何度も頭を振る。いけない。駄目だ。しっかりしろ。心の中で何度も何度も唱えるとふ、と前を歩く鬼道の足が止まったのが見えた。
「――お前が居てくれて、何度も救われたことがある」
「……私が?」
「お前が」
鬼道はそっけない口ぶりで淡々と返す。けれどは鬼道がいった言葉に現実味が持てず思わず「そんなの知らないよ」と問い返した。宿舎は他に人が居るはずなのに静寂に包まれていて、まるで二人だけを別次元へと取り残したかのようだ。鬼道がようやく振り返ると、と彼女の名前を呼ぶ。数メートル離れているのに、彼の言葉は妙にすとんと彼女の心に沁みる。姿勢が自然とまっすぐになると鬼道はゆっくりとへ寄って行く。
ぎゅう、と抱きしめたのはどちらが先だっただろう。そのくらい自然に抱きしめて、抱き返された。の瞳には涙が再びこみ上げてきたが、それを見せないように彼の肩に顔を埋めた。
「――力になれなくて、ごめんね」
「そう思ってるのはお前だけだ」
「……鬼道君は優しすぎるよ」
欲しい言葉を彼は彼女に惜しげもなく言う。その言葉がどんな意味を持つのか知っているうえで言ってくる。まるで穏やかな風のように、全てをそ知らぬふりをして包み込む。救われたのはのほうだ。鬼道がいたことで沢山の言葉を貰った。沢山の思いを貰った。けれど彼は「俺は何もしていない」と笑う。抱きしめられたその腕は日々のウエイトの結果なのだろう。初めて出会ったその日よりもずっと精悍な佇まいになった。
既視感を感じて、思わず何度も何度もは瞬きをして、回していた腕をそっと離す。
「……あのさ」
「なんだ?」
「……笑わないで聞いてくれる?」
「内容による」
容赦ない切返し。全く持って彼は容赦が無い。ふう、とは溜息をもう一度零すとしゃんと姿勢を正して彼を見上げた。
どう伝えればいいのだろう。見上げた先の瞳は、ゴーグルで少しくすんではいたが確かに赤くを見返している。日本人はアイコンタクトが苦手だというのに、彼はいつだって真っ直ぐに視線を向けて何かを訴えようとする。それにも応えようと思わず逸らしたくなる瞳をしっかりと見つめた。
けれど、傷ついた彼の心を癒せるとは限らない。言ったところで何も変わらないかもしれない。
それでも。
―― それでも。
「いつでも、傍にいるよ」
そんなことしかいえないけれど、は照れ隠しに笑って彼から離れ階段を下りていく。
三段目を降りかけたとき、腕をぐいと引っ張られ、危うく段と口付けしかける。何事かと振り返れば、口をぎゅ、と噤んだ彼の手がの腕をしっかりと握り締めている。深く刻まれた眉間の皺にもまた、口を噤み彼を見据えた。泣きたいときは泣いても良い。そういったところで彼は泣いてはくれないだろう。意地っ張りな人だ。しょうがない人だ。の手がゆっくりと伸びて彼の頭の触れる。びくり、と肩が揺れたが享受するように直ぐに収まった。
「――鬼道君が、いても良いって言うなら、ずっと傍にいるよ」
「……お前も大分、バカだな」
彼は悲しそうに笑った後、ゆっくりと顔を上げた。傷ついた瞳は少し濡れているような気がしたけれど、はそれに触れることなく「そうかもね」と笑い返すだけにした。精悍な佇まいになっても、真っ直ぐ前を向いても、結局鬼道とに年齢の差はない。同じ中学生。同じように傷つくし、同じように笑うことだってある。それだけのこと。だから、もっと笑っていて欲しいなんて彼女はひっそりと思う。
力になんてなれなくてもいい。自己満足だと笑われるかもしれない。それでも。傍にいれたらと願った。
「」
「うん?」
「…………ありがとうな」
笑ったのか怒っているのか泣いているのか複雑すぎて分からない鬼道の表情。けれど、は首を横に振って階段を再び折り始めた。今度は「一人」ではなく「二人」で。くだらない会話をして、笑って、怒っていければいい。一人より二人で、皆で一緒に共有できればいい。掴んでいた手はゆっくりと腕から手にスライドされる。鬼道を見ればぷい、と彼は矢張りそっぽを向いてしまっているが、どこか微笑ましい。朴念仁の彼のわかりにくい優しさだ。
「いこっか」
「……ああ」
その手を、できれば離したくないなんて言ったら彼は笑うだろうか。言ってみた姿を想像して、ほんの少しだけは笑った。
『 Castle・imitation 』 鬼束ちひろの同曲をイメージ