「うーわー空黒いなー」
開けていた窓から身を乗り出して空を眺めた後濡れることを避けてはその窓の戸をぱたん、と閉じる。夕立というには聊か降りすぎている気もする。雨の音を聞きながら持っていたボールペンをくるくる回し雨のリズムに合わせる。こういう雨の日は外で走ると気持ちいいんだよなぁ、なんて呑気なことを少しだけ思った。
「……雨か」
「……総帥」
ざぁざぁと降りしきる雨を窓からぼんやりと眺めていたは声がした方向へゆっくりと振り返る。相変わらずの見えない表情に少しばかり身構えるが、今の彼に悪意は見えない。
彼はゆっくりとロッキングチェアに座って腕を組んだ。相変わらず、どんとした座り方が彼には似合っている。……そういえば、とぼんやり持っていたペンをは止めて影山に振り返った。
「……なんで、態々イタリアなんだ?」
「お前に言う必要もない」
「……ソーデスネ」
相変わらず大事なもの以外にはきついのな。心の中で彼は愚痴りながら、相変わらず降りしきる雨を見上げた。彼は、鬼道の代わりを作っていた。初戦代わりは代わりだと切り捨てたところも見た。
その姿はいつかの不動を思い出させて、は眉間をぐいと引き寄せた状態のまま口をへの字に変える。
何を考えているのか。
何が目的なのか。
どうしてイタリアなのか。
どうして鬼道なのか。
には分からないことだらけだ。
「――総帥」
「……その呼び方を続けているのも、もはや帝国ではお前だけか。皮肉なものだ」
ロッキングチェアで組んでいた手を離し、足を組み変えるとふ、と影山は口元を緩めて忌々しそうに笑った。その笑い方は下卑たるものというよりは上品がゆえに薄気味の悪さを感じるものだ。一瞬の顔が凍りつく。
影山はのことが嫌いだ。鬼道に教えてきた完璧なサッカーを一つ、また一つヒビを作らせていった人間の一人。何故あのとき彼を再起不能にしておかなかったのか、偶然だ。運のよさ以外の何でもない。けれど、は言う。
「俺とアンタは似てないけどなんか似てるような気がしてすげーやだ」
どういう意味での「似てる」なのかは影山は聞かないことにした。聞いたところで意味が無いのだ。広い部屋に暖炉が一つ。ロッキングチェアに腰掛けた影山に対しては臆することなく真っ直ぐに見据えてきている。
降りしきる雨の音はやみそうになく、街にある音を吸い取って雨音だけを響かせる。
「」
「はい」
「こんな雨の中のサッカーでの必勝法は」
「……雨っすか?」
雨の日にサッカーをやる際、まず地面か、はたまた人工芝か、天然芝か。フィールドのチェックが必要になる。地面で濡れていれば泥になり、水分をより含んだ結果ボールはとまる。これは芝生の長さにもよるが、雨の日の天然芝でやる試合はより体力を奪われ、ボールが動きにくい。
以前テレビでやっていた土砂降りでのサッカーは結局途中で中止にさせられていたのをぼんやりとは思い出した。あのときはフィールドは完璧なまでに水浸しになり、走るだけで車が通り過ぎるようにバシャバシャと音がして、さらに滑っていた。
……しかしはあの状況でのサッカーをひそかにやってみたい、と思っていたものである。それをまさか影山は知っているのだろうか。は沈黙したまま影山を見ると彼はニヤリ、と鬼道がいつだったか帝国時代にまねをしていたような、オリジナルのニヒルな笑いを見せた。ばれてる。思わずが顔を引きつらせると「貴様の考えていることなどお見通しに決まっているだろう」と影山は実に淡々と述べた。
「ひでーっすね、それじゃあまるで俺が単純みたいじゃないですか」
「……ほう?」
「俺だって色々悩んだりとか考えたりだってしてますから。いちおー」
にとっては苦々しい思い出だが、彼だって元々帝国のサッカー部だ。影山のサッカーを僅かながらでも理解し、それを少しの時間だけでも動いてた。だからこそ、危険性を分かっていたのに。
分かっていたはずなのに。止められなかったことが、悔しくて憎々しくて、言葉が出なかった。そして、そんなをきっと影山は嘲笑っている。
「……、お前は私の計画には不要な人間だ」
「またその話すか。……なんか帝国時代にも同じ話した覚えあるんすけど。……俺は、自分が必要とされてるし自分がサッカー好きだし、選ばれたからやってるんです」
「ならば監督命令だ、チームから外れろ」
「嫌です。理由が無い」
私のプランにお前は常に邪魔だからだ。そう笑いながらもいった影山には両肩を落として降参のようにその両手をさっと挙げた。アンタはいつもそうですね、と苦笑いを込めながらつかつかと影山へと一歩二歩、彼は踏み出す。
ゴロゴロゴロ、と雨音だけだった空が僅かに雷を鳴らそうとしている。
「本当、総帥は俺と鬼道のときとえらく反応違いますね」
「当たり前だろう。最高傑作、サラブレッドの鬼道と駄馬以下のお前ならば扱いが違うのは仕方の無いことだ」
「ふーん」
駄馬。随分な言い方だ。けれどは瞬間的に鬼道や影山のような、少し意地の悪いニヤリ……とした笑顔を浮かべる。その笑顔を浮かべられる者が矢張り帝国にいたという証にでもなるのだろうか。底の見えない、意地の悪い笑顔だ。
腰に手を当て、ゆっくりとロッキングチェアの周りをは歩きながら「ひっでー言いっぷりっすね、総帥」と落ち込んだ様も見せずに告げる。
「事実だろう」
「……駄馬だろうと何だろうと、俺は鬼道とも不動とも、何よりアンタとも違う。俺は舞台を降りるなんて絶対嫌だ」
あのフィールドが、俺を呼んでいる。メンバー達が俺を求めている。だから俺はあそこに立つ。あそこでボールを蹴る、ボールに頭を当てる。シュートを打つ。それだけ。
身勝手な男だと影山はのことを称した。
はで影山のことを「なんて身勝手な大人なんだろう」といつだったか呟いたことがある。
大人と子供、切り捨てた監督と飛び出した選手、回りまわって再び監督と選手としてめぐり合い、顔をあわせた二人の周りに「鬼道」も「帝国」も今はない。雨が全てを覆い隠すかのようにして、と影山は見据えあった。そこにいるのは二人の「フットボーラー」に過ぎない。
何を考えているのか、次の一手はどう来るのか。色々な知略が張り巡らせている中で、やがてはくるりと再び窓を向いた。
「――雨、やまないですね」
「……」
「俺、少し走ってきます」
雨の日だというのに、ウインドブレーカーをTシャツの上から彼は重ね着ると体育会系らしく頭を下げ、大きな声で「失礼します」と影山の返事を待たずに言い残し、走り去っていった。残された影山はようやく静かになった部屋を見渡し、ゆっくりとロッキングチェアの背もたれに背中を預ける。
きい、きいと僅かに椅子が揺れたがその揺れに応じてゆっくりと目を閉じる。
「――――駄馬が、どこまで出来るか見せてみろ、」
お前になんて期待をしてはいない。計画の邪魔をするのなら再び潰すまで。淡々と独り言として呟いた彼の言葉は雨にとかされ、消えていく。
きい、きい、と再び椅子が小さく揺れた。
「!」
「おお、鬼道!」
ざあざあと相変わらず降る雨の中でが見つけたのは予想外の人間だった。真っ青なブルーの傘を差しながらも鬼道はマントをつけていなかった。この雨の中では濡れるからだろうか。はウインドブレーカーのフードを取ると鬼道の傘に入れてもらいながら「お前一人?」と僅かに首をかしげた。
こんな土砂降りの中外を出歩くなんて物好きしか居ないものだと思っていたがどうやらそうでもないらしい。
鬼道は眉間に思い切り皺を寄せて「お前はこんな日でもトレーニングか」と呆れたような口調で言った。質問の答えにはなっていないのだが、降りしきる雨と走り続けて疲れた体を少しでも憩わせてくれる傘の持ち主なのでは「まーなぁ」と曖昧に言うだけにしておいた。
「イタリア代表は大丈夫なのか」
「んんー? …………多分」
「……お前、知ってて黙ってたのか。それとも気付かなかったのか、どっちだ」
不意に、鬼道の声が低くなる。目こそは見えなかったが、彼は確かに真剣でを見据えていた。こういう生真面目さがあるから中盤の大事なポジションだとか、キャプテンだとか、チームのブレーンが出来るのだろう。しみじみと改めては思いながら「どう思う?」と鬼道に尋ね返してみた。
だが、その次の瞬間に傘の柄でごっと鈍い音が響き渡る。顎に直撃するとは思わなかったので思わず悶絶するに鬼道は「真面目に答えろ」と容赦なく言い放つ。雨の中で少しばかり聞き取りにくいながらも彼らは大きな傘の下で立ちっぱなしで談話を続けた。
「……総帥がどう考えてるのかわかんねーけど、俺はあの人の手ごまじゃないから」
「……」
「どっちかってーと、俺、駄馬だし」
駄馬?
思わず鬼道が聞き返したが、は「んじゃ俺トレーニングに戻るわ」と言い残してぴょんと傘の外へと飛び出した。
雨は先ほどよりは少しばかり小雨になりつつあったが、フードも被らずに走り続ければ間違いなく体が冷えるだろう。
なんであいつはいつもああなんだ……思わず鬼道は頭を抱えたくなったが、慌てて「」と彼を呼び止める。は雨の中、石畳の階段を登りかけて、その足を止めゆっくりと鬼道へと振り返った。
やたらスローテンポな映画のワンシーンのような状況だった。けれど、鬼道はそんな状況でも傘を僅かに上下に振って「風邪、引かないようにしろよ」と言った。その言葉に対しては少しばかり驚いた顔をしていたが、直ぐにへにゃりと力なく笑い「おう」と頷く。
「フットボーラーならいつでも戦える用意をせよ、だもんな!」
「やりすぎないようにしろよ」
「わーかってるよ」
それじゃあ、またな。大きく彼は手を振って、そして今度は振り返らずに階段を上って行った。
鬼道は暫くぼんやりとの後姿を見ていたが、雨がぱらぱらと再び降ってきたのを傘越しに感じて真っ青の傘をくるりと持ち直すととは反対側の「日本代表」の宿舎へと戻っていった。
影山がフィディオたちに助言して勝利を収めてからのこと。