そもそも、喧嘩なんて良くすることだ。意見の相違は人間誰しもあることで、個々人の主張の強い雷門ならそれが尚更に大きい。
彼らは大きな敵を目の前にしているとは言え、中学生だ。
大声で泣き出したりだとか、感情をむき出しにして怒るだとか、そういう子供染みた子供ではいられない部分と、割り切れる大人にまで成り切れていない部分が同居し合い反発しあっている。未発達で、かといってゼロと聞かれればそうではない。数字で言うならば1と0の中間に自分たちは立っているのだ、と時折気付かされる。
曖昧且つ不安定。いつ崩れるかも分からない微妙な氷の上に立っているのだということに気付かされる。
ごつ、と風丸は壁に頭を寄りかからせると天井を見上げた。……暫くの沈黙の後、盛大な溜息が自然と零れ落ちる。曖昧な年齢の曖昧な状況の、曖昧な関係の、喧嘩。よくあることのひとつで、けれどとても気になること。
考え込む頭をわしゃわしゃとかきまわし、もう一度彼は溜息を零すと頬杖を付いてそもそもどうしてこんなことになったのかと考え始めた。
事の発端は、多分それはきっと彼女のほうだろう。けれども、知らずとして追い詰めていたのはきっと自分たちのほうだ。
「一ちゃんたちに、私の、何が分かるのよ!」
ばぁんと白い部屋に、白い枕が叩きつけられて、彼女は全てを拒絶するようにして叫んだ。
慌てて担当看護士である女性が落ち着かせるように両肩を抑えて「ちゃん」と彼女を呼ぶ。それでも彼女は涙を見せながら叫んで、訴え続けていた。
私だって、サッカーがしたいのに。サッカーやりたいのに。女だから、病気だから、サッカーを諦めなきゃいけないなんて、嫌だよ。
ぼとぼとと、無色透明の雫が彼女の白いベッドを濡らしていた。その情景はとても遠く――まるでテレビの向こう側の状況のように、風丸の瞳に映り続ける。目の前で泣いている少女のことを知っているはずなのに、何もわかってやれなかった自分を悔やみ――そして、見たことの無い彼女の一面に絶句し続ける。風丸、と円堂が彼の肩を叩くまで放心し続け病院のロビーに自分が立っていることに気付くまで、暫く彼は時間に取り残されていた。
そこで一旦解散になったが、円堂はまた明日に話せば分かってくれるさと笑って、一年生たちに囲まれながら去っていく。ぼんやりと、彼はその背中をただ見続けた。
歩く気力さえ、彼には残っていない。だからといって戻ることも許されず、故にずっと立ち尽くす。ふ、と先ほどの円堂に叩かれた場所と同じ場所を誰かがぽんぽん、と軽く叩いた。
「……ちゃんが心配?」
それは、チームがばらばらだった初期からずっとマネージャーに徹し日陰に徹し続けた少女。彼女の言葉に、風丸の重たい口がゆっくりと開かれ、彼は尋ねた。
「……木野さんは、いつから知ってたんだ?」
「……豪炎寺君が、部活の練習にも参加してくれるようになってから」
「それって、随分前のことじゃ……」
「ずっとね、口止めされてて」
風丸がサッカー部に助っ人から正式加入したのは豪炎寺が入ってきて、11人無理やりにでも部員を集めなければならなかったときだ。
そのとき、彼女はサッカー部ではなかった。いや、雷門の生徒でもなかった。帝国の一件が終わってから暫くして編入してきた少女。その前はどこにいたのか。どうしていたのか。
彼は知らない。聞きもしなかった。ただ、彼女は明るく「またサッカーが一緒に出来るね」と笑っていたから、その笑顔に流されて、気付かないでいたのだ。
「……何も知らなかった」
木野は小さく首を横に振った。一人だけの問題ではない、と。けれどその言葉も、ロビー内のざわめきと、受付のアナウンスにかき消されて彼の耳には入らない。
……そこから、どうやって家に帰ってきたのかは、至極曖昧である。
無自覚とは言え、女子がサッカーが出来ないからとはいえ、僅かながらにも希望を与え続けていたのは自分たちの落ち度だ。練習には参加させておいて、試合には入れない。どんなにいい結果を残せても、公式試合には参加させてもらえない。どんな気持ちだったのだろう、と風丸は己の手で目を覆いながら思う。
泣き虫だった少女。体が弱かった少女。記憶の断片に居る少女の姿はいつも弱弱しかった。そして、今目の前に居る少女は再び嘗てと同じように泣いて、あの時と同じように、同じ言葉を吐くのだ。
―― サッカーが、したい。
「くそ」
学ランを脱ぎ捨ててベッドにもぐりこむ。布団をかぶっても頭をちらつくのは同じことばかりだ。考えてはいけない。考えたところでどうしようもないのだと己に言い聞かせ無理やりに目を閉じる。
薄暗い部屋の中で、何度も何度も、繰り返すように「」と彼女の名前をつぶやいて、その後にかすれるような声で「ごめん」と謝罪の言葉をあげながら――ゆっくりと、彼は眠りの中へ落ちていった。
目を覚まさせたのは、己の体が毎日ジョギングをしている時間のせいだろう。結局浅い眠りを何度も繰り返したせいか、まだ頭がぼんやりとしたが、体をのそのそと起こし、ジャージに着替えて髪を結うとランニングに出かける。
走っていれば、考えなんてものを忘れることが出来る。
風丸自身、そのことを昔から知っていたから、嫌なことがあるたびにずっとずっと体が倒れるまで走り続けている。今日もまた、そうするつもりだった。
けれど、 “ 嫌なこと ” で終わらせることが出来ないことも彼は知っている。
故に家を飛び出して黙々と走り続けて、携帯で「今日の練習は休みにするからの見舞いに行こうぜ!」と円堂が電話をしてきたときに、気付けば病院の近くを走っている自分がいたのだろう。円堂に電話で「病院ついた」と報告すれば早えーから!と慌てた声が返ってくる。先にいってろともついでに言われ、しかも一方的に電話を切られて風丸は呆れたように溜息をつく。
そして、もう一度全体を見るように病院を見上げた。真っ白な壁。雷門中学のすぐ近くにある病院。ここには豪炎寺の妹もいるという。
全速力で走り回ったせいか、咽喉が渇き病院内の自動販売機で何か買うか……と考えながら横断歩道を渡り、病院内に入る。ロビーは相変わらず騒がしく、順番を待つようにたくさんの人間が座っていた。総合病院だから、といえばそれっきりだが、どうにも病院のような堅苦しい場所は苦手だ。ロビーを出た近くのコンビニの前に置かれた自動販売機に五百円玉を入れるとポカリスエットを飲もうと指が動かす。
……が。
「あ」
ボタンを押し間違えたのは偶然か、必然か。普段なら絶対飲まないようなものを、それもこの季節にホットの「それ」を押してしまった。
がらがらがら、と缶が落ちてきて、小銭も共に落ちてくる。
しまったと思いながらもそれを拾い上げ、つり銭を財布の中に入れると自動販売機が「あたり」を示しており、甲高い「コングラッチェレーション!」という声が響く。音の大きさに驚くともう一本再び先ほどと同じ音でガラガラガラ、と缶が落ちてきた。
ご丁寧に同じ種類の同じ缶。……運がいいのか、それとも不運なのかよく分からないこの状況に思わず風丸は項垂れた。
「……カプチーノとか、飲まないしなぁ」
どうしたもんか。手持ち無沙汰に二つの缶を持って「よく振ってください」の文字を確認するとしゃかしゃかと振りながらロビーへと戻る。の病室へはエレベーターで行ったほうが近い。
病室の扉を二度ノックするとかすれた声が返ってきた。
風丸のドアノブにかけた手が僅かにこわばる。かしゃん、と片手で持っていた缶と缶がぶつかる音がした。
「……よっ」
「……一ちゃん」
彼女は髪の毛をほどいて、前開きのグリーンのパジャマを着て本を読んでいた。驚いたように目を見張って、すぐにその感情を押し殺すように本を閉じると布団にもぐりこもうとする。昨日の今日で気まずいのはお互い様といったところだろう。
の部屋は個室だった。白い天井に、白いベッド。大きなテレビに、の目に入るようなところに花が置かれてある。空は良い天気だ。窓を開けてあるのだろう、柔らかな風でカーテンが僅かに動く。
じんじんとカプチーノの缶を握っているせいで、手が熱い。
「……」
「……」
「お前、カプチーノとか……ああ、飲めないか、悪い。お子様舌だもんな」
いつもなら「なんだってー」と反論しながら分かりやすい怒った顔を見せる筈のは沈黙したままだ。
沈黙の後に、テーブルに風丸は一缶だけそこに置いた。
「……悪かった。……お前が、そんな悩んでるの気付けなくて」
「……」
「でも円堂も、俺たちも、お前のこと、仲間だと思ってるから」
ひどく傲慢で、押し付けがましいものかもしれない。
サッカーの出来ない彼女にサッカー部に居させ続けることはとても酷なことなのかもしれない。
それでも――それでも。
「俺たちは、のこと待ってるよ」
お前とまた、サッカーがしたいから。
お前とまた、一緒に笑いたいから。
お前にはサッカーが似合うから。
色々な気持ちが入り混じった状態で、に言葉を投げかけた。けれど、彼女は此方を振り向こうとしない。
……暫くの沈黙の後に、風丸は溜息を付いて「じゃあ」とドアノブに手をかける。
けれど、それをさえぎるようにやわらかい風が突風に変わりカーテンを大きくなびかせ、音を立てた。
「……一、ちゃん」
「……ん」
「……私、サッカーが、好きなの」
漸く口を開いたの言葉に風丸は、知ってるさと小さく笑った。
どうしてか知らないが円堂守という男の近くにいた人間はみんなサッカーが好きになっていく。自分も、も、この弱小サッカー部の一人一人も、あの雷門夏未だってそうだ。
こんこん、とドアが再び叩かれる。
サッカー部の面々が、一列に並んで現れて風丸とまったく同じことを言いをもみくちゃにして、がおお泣きしながら笑い、彼らと再びサッカーボールを追いかけることを約束するまでもう少しのこと。
そのもう少しだけの二人だけの部屋をつなぐように、テーブルの上に置かれたカプチーノの缶と、彼の手に収まったカプチーノの缶はじんわりとぬくもりを持ちながらその時を静かに待ち続けた。