「鬼道ってさぁ、のことよく見てるよな」
唐突にいわれたその言葉に、彼はゴーグルの下で瞠目した。発言をした張本人は特別その言葉を意識するわけでもなく「苺オレって以外に美味いな」と机を挟んで他のクラスメイトと暢気に昼食をとっている。
名前をあげられた張本人はクラス内には居ない。昼食を其々取るべく各々に弁当だとかパンだとかを取っていたのだから当然といえば当然だろう。教室内では何やら女子が雑誌を回し読みしたり明日の小テストについての談笑を交わしている。
どこにでもある光景で、代わり映えしない状態。クラスメイト達は其々の時間を楽しんでいるのだから当たり前といえば当たり前。そしてそれは鬼道自身にも言えることだ。
弁当箱を広げて共に談笑しているサッカー部員達は彼自身にとっては特別な存在だ。
「……どうした?」
「……いや」
彼の沈黙に違和感を感じたのだろう。豪炎寺が僅かに眉根を寄せた。かんばせを悟られないように思わず口元を手で覆う。
ぐるぐると脳内で何度も何度も指摘された円堂の言葉がループした。更にそこから自ら質問を紡ぎ出す。
よく見ている?
当たり前だ。彼女は初心者だから、サッカーを知らないから、教えなくてはいけないから。理由はいくらでも口を開けば出てくる気がした。けれどもどうもしっくりこない。
誰に言うわけでもないのに――彼はグルグルと脳内で理由を探す。
視線を落とすと弁当の中身が未だ半分以上残っている。育ち盛りの男子生徒にしては少ないが、一般的に見れば普通サイズの弁当。この後の部活に備えて昼食を取らなければいけないのに彼の箸は動かない。
「で、っさぁ! すっげーの、あのシュート! あぁ止めてみたいー!」
「それは分かったが、円堂。お前数学の宿題終わってないんじゃなかったのか?」
「あっ!」
忘れてた。顔面蒼白にして円堂は叫ぶと机の横にかけていた鞄を引っ張り上げ、数学のノートをばらばらと取り出した。見事に手をつけていないせいで新品と大差がない綺麗な数学の教科書。
豪炎寺が思わず苦虫を噛み締めたような顔をして「お前授業中寝っぱなし多いからな」と彼の成績の悪さを露呈するようなことを呟いた。
「鬼道はそういう意味じゃあ安定してるよなあ」
「帝国の進みが速かったからな」
松野と半田が鬼道の両脇で其々未だ昼食を食べながら机に齧りついて「わかんねぇ」と叫んでいる円堂を静観する。手助けをするつもりはどうやらないらしい。
ぶす、とプチトマトを口に放り込めば随分と甘酸っぱい味がした。
「でもさぁ、僕正直意外だったんだよねぇ」
「何がだ?」
「鬼道がさんのこと気にかけるの」
ツナサンドを口に放り込み、もっきゅもっきゅと何度も彼はその味を噛み締める。学校に帽子をつけてくるのはありなのだろうか、という疑問はこの場合省察させてもらうが、鬼道は僅かに首をかしげた。けれどそれに同調するように半田も何度か頷いている。
玉子焼きを更に食べながら鬼道は話のネタにされている少女を思い出してみた。
「って、サッカー知らないのにサッカー部になったんだよな」
「そうそう、キャプテンと木野さんが勧誘して」
「……道理でルールを知らないわけだ」
サッカーを知らない人間がサッカー部に入る。これほど何か裏があるのではないかと思うことは無い。最近のサッカー部の活躍は著しいが故の興味本位の可能性もある。フットボール・フロンティアの駒も着実に進んでいる。
木野のようにマネージメントをしているわけでもなく、雷門夏未のように事務関連のことをするわけでもなく、そして鬼道の実妹である春奈のように情報収集をするわけではない。ストップウォッチを片手にスコアを書き、走り回り、マッサージやストレッチを学んでボールを蹴る姿は不思議な光景だ。
「でも、頑張ってるよね」
「まぁ頑張らないと着いてこれないからな」
「半田に言われるってかわいそーかも」
「なんだよマックスそれって酷くない?」
そういって再び談笑する彼らを横目に鬼道は黙々と考える。
頑張っている。それは認めよう。という人間を良く見ている。……これもまぁ認めてもいいだろう。物事には「原因」と「理由」があり、それがゆえに「結果」がついてくる。
彼女を気にする理由に対して、はっきりと言い切れるものを鬼道は持ち合わせていない。
「キャプテン、いるー?」
ひょっこりと一人の少女が扉から顔を覗かせた。クラス中が一瞬そちらに視線を向けたが直ぐに自身たちの個人の世界へと戻っていく。声を掛けた張本人はぐるぐると周囲を見渡し、漸く円堂たちの姿を捉えると此方へててて、と小走り気味に寄ってくる。
「……円堂君は宿題中?」
「まぁ、そんなところ。どうした?」
「あ、うん。これ夏未さんから今後の日程表のコピー。部活ん時に皆にも配るって」
円堂の代わりに風丸にプリントを渡すと「じゃ、私はこれで」とそのまま今来た道をぐるりと反転し戻っていく。忙しない人間だ。ちらりと鬼道はそちらを見ていると、彼女は何かを思い出したのか「あ」とぐるりと再び回れ右をする
「キャプテン勉強頑張ってね!」
「おう!」
「じゃ、また後で!」
そういって、彼女は今度こそ教室を出て行った。風丸がプリントを見ながら「へぇ」と何か感心したような口ぶりで呟く。
染岡が何かあったのか、と首だけ動かして問えば「部室の掃除当番の提案だって」と彼は特別気にしたような素振りもせずに言う。雷門サッカー部の部室は狭い。そして物であふれている。倉庫も兼用しているような部室だ。
その部室を掃除するのは現在はマネージャーの仕事になっているが、「皆で使う部室」なのだからみんなで掃除をするのは当たり前だ、と雷門夏未は提唱している。はぁ、と露骨に染岡は嫌な顔をしたが、それ以外に書かれた日程はしっかりとしたもので、雷門夏未もマネージャー業に慣れ始めてきたということだろう。
「……ご馳走様」
完食し、両手を合わせ、弁当箱をしまいながら鬼道は僅かに彼女が出て行ったクラスの扉を見る。扉の前には既に新たな女生徒が立っていて何やら談笑を交わしている。
「ん、鬼道どこいくの?」
「手を洗ってくる」
「おー」
ひらひらと手を振られ、見送られて鬼道は教室を出る。水道は階段を下りた先に置かれている。そこでふと、彼はを見つけた。彼女は何かクラスメイトの女子と話し込んでいて、やがてコロコロと笑う。
直ぐに顔を背けてしまえばよかったのだが、どうにも先ほどの円堂の言葉が引っかかる。気にかけている。よく見ている。
―――― 何故 ?
視線に気付いたのか、彼女はふっと此方を見て僅かに目を丸くするとクラスメイト達から離れて鬼道の前までやってきた。
「あ、鬼道君。どしたの?」
「……あ、ああ」
「うーん? 顔色ちょっと悪いよ」
もしかして体調良くないんじゃ、といったに彼は首を横に振る。彼自身自分の体調管理はしっかりしている。バランス面を考えた食事管理、体調管理。それはアスリートならば当たり前のことで、鬼道有人という人間は「天才ゲームメイカー」と呼ばれるに相応しく、食事バランスや体調にも中学生の現時点で気を配っている。勿論、それは自身を引き取ってくれた鬼道財閥の力もあるのだが――それは言葉にはしない。
は首を傾げると「そう?」とだけ返した。
気にしている。気にかけている。見ている。言葉がやたらエコーいて、彼の耳に幻聴として届く。何故。何故。どうして、気にかけている? 彼にはわからない。
「んー、じゃあ、これあげる」
「……飴、か?」
袋に包まれた飴にはレモンの絵柄がプリントされていて、彼はそれをマジマジと見つめているとは僅かににこり、と微笑した。
疲れてるときは糖分取るといいんだよ、と付け加えながら鬼道の様子を見るように顔を覗きこむ。
「飴、嫌いだったら誰かにあげちゃって」
「……あ、ああ」
「でも本当体調きつかったら、言ってね。秋ちゃんたちに言っておくから」
そういって、彼女はクラスに戻っていく。クラスメイトがなにやら彼女を冷やかす様に騒いでいたが、鬼道には彼女の後姿と手元に残ったレモンの飴がやたらと目につく。
は、と現実に引き戻されると手を洗い、そして彼自身もまた教室へと帰っていく。おかえり、と松野が言ったので僅かに頷き返し席に座った。
「なんかあった?」
「何が」
「ちょっと機嫌いいみたいだったから」
「……そうだな、悪くはない」
袋を開けて、飴を口の中へと放り込む。甘酸っぱい独特の味が口いっぱいに広がった。
――これは、多分、きっと。
先ほどのやり取りを振り返り、そして僅かに自身の中で芽生えつつある感情を彼はもう否定しなかった。
気にかけるのは、それだけ気になるからだ。気になるのは――恐らくは彼女に対して何らかの感情があるから。その何らかは、特別ということなのだろう。
他の誰でもなかった存在。特別な存在。口の中を広がるレモンの味が余計に甘酸っぱくさせた。
らしくない。鬼道は僅かに苦笑を落とす。こんな気持ちを抱くのは――初めてすぎて、動揺せずにはいられない。
あー分かんない、もうやだやってられねぇサッカーしたい、という円堂の嘆き声が響いて現実に引き戻されたのは、少し後のこと。
2010.03.04