「え」
「何だ?」
「……鬼道君も飲むの?」
予想外だったのだろう。目を何度もぱちぱちと瞬かせ手馴れたように作業する手を食い入るように見ていたはちょっとだけ意外そうに首を捻った。半分くらい注がれたカップを渡しながら「悪いか」と鬼道が問うと失礼なことを言ったのではないかと顔を挙げ、ううん、と首を思い切り振られる。
マグカップから出る湯気が、向こう側とこちら側を歪ませていた。
静かに鬼道が口をつければ、口内に広がる薬草の匂い。思わずむせ返るほどで顔をしかめれば、は噴出してケタケタと笑って見せる。
「……」
「ご、ごめん、なんか、想像通りだったっていうか……」
「余計なお世話だ」
「ごめんって。今度お詫びに美味しいカモミルクティー淹れて上げるから機嫌直してよ」
聞きなれない単語にを見るとは「火鍋がどこにあるか分かればそっちにするつもりだったのになー」となにやら琥珀色の液体を瓶から取り出して、カップにふるい落としている。注がれた視線に気付いてか「あ」と小さく声を漏らすと持っていたその瓶を鬼道とはさんだ机の上にちょん、と置いてみる。
鬼道はそれを手に取るとラベルに視線を送る。HONEYと書かれた文字に蜂蜜であることが分かった。
「美味しいよ、蜂蜜入れると。しっかしイメージどおりというか、うん、鬼道くんコーヒーっぽいよね」
「……」
「カモミルクティーも美味しいんだよ、気持ちが落ち着くっていうか、よく寝れるっていうか。ミルクティーって偉大なんだよ。本当は砂糖にしようかと思ったんだけどカロリー考えて今日は自粛」
つらつらと言葉を述べるを遮るように鬼道はマグカップを持っていないもう片方の手を彼女の前に突き出した。そこでは言葉を噤み、どうしたの、と視線だけで鬼道に訴える。
「一口くれ」
「ん? んー、いいよ」
置いて、取り替えると今度は明らかに甘い匂いがした。一口飲めば身体が一気に温まる。なるほど、これならば飲めそうだ――そんなことを思いながら視線を落とすと、はたっとと目があう。彼女は椅子に座っていて、彼は机に寄りかかっている状態だから自然といえば自然だろう。
えへら、と呑気な笑顔を浮かべたに溜息を零し、マグカップを置くと腕を組む。
ほーほー、と何処からか梟のような鳴き声が聞こえてきた。
「悪くは、ない」
「素直じゃないなぁ。美味しいって言おうよ」
「……そうだな」
それは、お前が淹れたのを飲んだ時に言うことにしておく。
思いがけない言葉には何か聞き間違えたのではないかというような顔をした。口が半開きになり、凝視するように目を開いて食い入るように鬼道を見つめる。行き場のない両手はテーブルの上で硬直し、まるで石の様だ。
観察をしながら、口に運びカモミールティーを鬼道は静かに味わう。
「……、飲まないのか?」
「の、飲むよ! って、鬼道くんが飲んじゃってるし!」
「ああ、すまん」
彼のカップは既に半分以下になっていた。
は眉根を下げて「しょうがないな」と苦笑しながらカップをそっと持ち上げる。まるで乾杯をしようといっているみたいなその行動に彼は首を傾げたが取りあえず持っていたカップを近づけると、小さくコン、とぶつけられ、彼女はにっと鬼道が試合の時にするような挑戦的な笑顔を浮かべた。
「今度、鬼道君が参りました、って言うようなカモミルクティーとカモミールティーにマーマレード入れたのご馳走してあげるから、覚悟しといてよね」
「…………大丈夫なのか、お前が淹れて」
「失礼な!」
下らない会話を繰り広げて、気付けば二つのマグカップは空の状態でテーブルに置かれていた。
ふと、があることに気付く。
「……あ」
「なんだ?」
「や、その、えっと」
「なんだ、はっきりしないな」
あわあわと視線を逸らしどうしたものかと言葉を詰まらせて、やがて「勘弁して……」と耐え切れないように口元を押さえると彼女は縮こまった。耳まで赤いのは気のせいではないのだろう。椅子の上で体育座りをして悶絶している姿は異形としか良いようがない。
顔を窺おうと覗き込めば余りの顔の赤さに驚いた。
何かあったのだろうかと、眉間に皺を寄せるが彼女は返答も何も無い。暫く二人で沈黙すると、静かに、僅かに、彼女が唇を動かす。うまく聞き取れずぐいと耳を傾ければもう一度、今度ははっきりとした口調で「馬鹿」と言われる。
「? どういう意味だ」
「っ、お、乙女心を理解してよ!」
「乙女……誰が?」
思わず直球で返すと、は「馬鹿ー!」と叫ぶように言い、そのままシンクにマグカップとポットを置いて「飲み終わったから寝る! おやすみ!」と走り去ってしまった。残された鬼道は未だに言っている意味が分からず首をかしげる。
何なんだ、一体。
取りあえず彼女にあってからの出来事を振り返ってみようと、今彼女の座っていた椅子に腰掛けて頬杖を付いた。
火傷をしたこと。カモミールティーの話。下らない会話。
はた、と彼はそこのワンシーンを思い返して、思考が綺麗にストップする。視線をシンクに置かれたマグカップに送ってみる。妙に一箇所に目がいって仕方が無い。
「……しまった」
頬が妙に熱い気がして、口元を必死に覆う。困惑気味にこちらを見ていた彼女の表情が印象に残ったのは、恐らくは彼女もまた同じことに行き当たったからだ。無自覚の行動とは言え、中学生といえば多感の時期。意識しても可笑しくは無いことだ。
信じられない。何てことだ。
思わず鬼道は頭を抱えたくなった。明日どんな顔をすればいいのか分からなくて、今夜は眠れなくなりそうだ。
「……カモミルクティーとやらを淹れてもらうしかなくなるじゃないか」
熱くなった頬を冷ますように一言、ぽつりと呟くと鬼道も振り切るように首を振り、ガタガタと走り去るように電気を消して、部屋を出て行った。
人気が無くなった台所で、二つのマグカップと一つのポットがシンクに置かれ――ただ、沈黙を守り抜く。
次の日に結局眠ることが出来なかった二人を再び結びつけるのは、自然と言えば自然の流れ。
「……寝れないの?」
「……お前こそ、またか」
ぎこちない二人が意識するのも、自然の話。