Puppy Love


 ザ――……と水しぶきが己の髪を濡らす。ひたひたと肌に触れる湯。ボディーソープで己の体に触れて洗い、身を清める。汗だくになって走り回った今日一日の疲れを癒すような感覚だ。いっそのこと風呂だったら良かったのだけれど、と僅かに思ったが贅沢も言っていられない。髪を洗い、洗顔し、首にタオルを巻いてシャワールームを出る。
 更衣室では豪炎寺が既に部屋着らしきジャージを着ていた。片手に持たれているスポーツ飲料が目に入る。彼の横をすり抜け、タオルで体を拭き、彼もまたジャージを着はじめる。

「マネージャー達が飯は八時ぐらいだと言ってたぞ」
「八時? ……また随分と遅いな」

 練習があったとはいえ、自由行動時間が余りにも長いことに彼は僅かに眉を顰めた。そもそも食事をマネージャーのみだけに任せても良いのだろうかという疑問もある。
 仏頂面をしていた鬼道の考えを汲み取ったのだろう、彼は「まぁ偶には良いんじゃないか」とだけ返した。マネージャー達にも何か考えがあるのだろう。それが彼の主張らしい。

「円堂は」
「まだ一人で練習してる」
「タフだな」
「それがアイツの一番の取り得だ」

 ごく、とスポーツ飲料を飲みながら豪炎寺は薄く笑った。確かに鬼道にとって見ても円堂のその我武者羅すぎるほどのサッカー好きには辟易させられつつも、影響されている。
 体を休めるということもしなければそのうち倒れるというのに、それでも彼はサッカーを楽しんでいる様だ。
 全ての着替えを終え、先に戻ると豪炎寺に伝えて鬼道はロッカールームを出た。火照る体にさわさわと風が当たる。それが妙に心地好かった。
 体育館に戻れば一年生達がなにやらトランプをしているらしい。ごしごしと頭を拭きながらそれとなく通り過ぎれば目ざとく壁山が鬼道に声を掛ける。

「鬼道さんもやります? トランプ」

 ぱらぱらと器用に宍戸がトランプを切る。ショットガンシャッフルはカードを傷めるのだが、すばやいその動きに小林寺と栗松から歓声が上がった。
 鬼道は僅かに首を振って「今は気分じゃないから、やめておく」とだけ言い返し持って来ていたらしき本を取り出し壁際に座った。その僅かな行動も随分と退屈しているような顔つきで、思わず壁山は体を竦ませる。そして、僅かに「さすが鬼道さん、クールっす」とだけ返した。
 宍戸がトランプを切り、インディアンポーカーを始めた彼らを他所に鬼道は黙々とページを捲る。合宿だからといってはしゃぐ様子もなく、彼の視線は目下分厚い本に羅列された文字に注がれている。まるでどうだっていい、というような態度だ。そういった一面も含めて、彼は転校してきたときの豪炎寺をどこか思い出させた。
 小林寺が「鬼道さん、やっぱり機嫌悪そうだね」とぽつりと呟いた。はしゃぐのと同時に、気になるのは必然で、彼の背中をちらちらと見ながらも彼らはトランプゲームを続ける。

「それにしても、俺、腹減ったっす……」
「今日は全部マネージャー達が作ってくれるっていう話でやんすからねぇ」

 選手達に今日一日は食事やその他のことはマネージャーに任せてほしい。言い出したのは木野だが、春奈や夏未、そしての表情も彼女と全く同じものだったので、彼らは厨房にたたせても貰えずにいる。
 何時もよりも多く運動したせいか、消化も激しく壁山の腹の虫が先ほどから何度も何度も叫んでいた。

「皆、いるー?」

 そのタイミングでやってきた木野を神か何かを見る様に見るのは致し方が無いことだろう。少々殺気立っている空間に一瞬彼女はたじろいだが「ご飯、後はよそえば終わりだよ」と笑って見せた。流石はマネージャー歴が最も長いだけはある。
 てきぱきと指示を下し、そしてぱたぱたと戻っていく。それとほぼ同じタイミングでひょっこりと豪炎寺とが部屋に入ってきた。タオルを首に巻いたまま豪炎寺は何かと話、僅かに頷いてみせる。

「鬼道」
「……なんだ?」

 不意に、名前を呼ばれて鬼道が顔を上げると豪炎寺はクイクイとを指差した。露骨に不機嫌な顔をした鬼道に一年生達は「ああやっぱりなぁ」と僅かに心の片隅で思ったが、それを他所には「ありがと」と豪炎寺に何か礼を言うとその足を急がせて鬼道の元へ駆け寄っていく。
 ぱら、ぱら。紙を捲る音が妙に響く。

「鬼道君、春奈ちゃんが呼んでるよ」
「分かった」
「後、サイドアタックってサイドバックとはどう違うの?」
「……この前教えなかったか?」

 そうだっけ、と彼女は首を傾げる。鬼道が本を閉じ、彼女に視線で「座れ」と命じた。実際のところ、彼女は夕飯の支度があるのだが、彼の気迫に圧され、しぶしぶと隣に腰掛ける。
 鬼道が取り出したのは何の変哲も無い大学ノートだ。しかしそのページの前たちは鬼道の一日一日を記されたサッカーノートであることをは気付いた。
 ボールペンでフィールドを簡略化して書き、更に黒い丸を作り彼は丁寧に教えてくる。

「うちの布陣は前に教えたな?」
「うん。4-4-2、だっけ」
「そうだ。サイドバックとは4バックの左右両サイドに位置するDFのことだ。何処だか分かるか?」
「えっと、ここと、ここ」

 とん、とんと彼女が二箇所を指差すと「正解だ」と淡々と彼は返す。更にサイドバックの例として風丸を上げながら益々説明を細かくしていく。
 サイドバックとは両サイドにおける守備を主な役割とするが、攻撃時にはサイドを駆け上がりMFの選手を追い越して攻撃に参加し、クロスボールをあげたりすること。
 その攻撃の方法が「サイドアタック」であること。

「ん、でもまって、じゃあ3-5-2だった帝国は、サイドバックはいないの?」
「帝国の場合はフラット3のストッパーだな」
「ふ、ふらっとすりー?」

 次から次へと分からない単語が出てきては目を丸くする。まるで異国の言葉を喋っているようで、混乱してくる。その横で鬼道がはぁ、とこれ見よがしに溜息をひとつついた。
 その溜息に彼女は僅かに萎縮するように首を引っ込めた。
 ……が、しかし。ふ、と彼女のジャージが何かに引っかかる。思わず視線を落とせば、指が彼女の袖を掴んでいる。視線に気付いたのかその指は直ぐに離れかける。顔を上げて確認するが、その手の持ち主は不機嫌な表情を変わらず取ったままだ。

、人の話を聞いてるのか」
「う、うん、ごめん」

 不機嫌だ。それは間違いない。けれど、どこか顔が赤いようにも見えた。その手をは恐る恐る、そっと指の上を重ねるようにして触れる。
 ……僅かに指が逃げようとしたので慌てて離そうとすれば、ぐい、と手をフローリングに叩きつけるかのように手が重なって、繋がる。恋人繋ぎというには不恰好であり、握手というにも少し違った子供のようなつなぎ方だ。

「……あの、鬼道君?」
「何だ!」
「な、なんでもない」

 ぐるり、と周囲を彼女は視線だけで見回した。豪炎寺はなにやらスパイクの手入れで集中しており、一年生達はトランプを相変わらず白熱させている。
 ……周囲からは、どうやらこの状況が見えないらしい。そして、彼女の頬に熱が集中しているのは気のせいではないだろう。

「……あの、鬼道く……」
先輩、お兄ちゃん居ましたー?」

 ぱ、と手が離れるのと春奈が顔を覗かせるのはほぼ同じタイミングだった。春奈は首を傾げたが彼らの手元にあるサッカーノートを確認して何かをが鬼道に教わっていたのだろうことを解釈する。
 ああ、と僅かに納得したかのごとく呟くと、にこやかに笑顔を浮かべた。

「お兄ちゃん、キャプテン呼んで来て貰って良い?」
「……あ、ああ」
「その後で良いからみんな連れてきてね! で、先輩はこっち」
「う、うん、今いく!」

 ぎこちない足取りで彼女は鬼道から春奈の元へと走っていく。春奈と二、三言葉を交わすとふっと鬼道の方向へ振り返った。彼は何時もと変わらぬような、不機嫌と退屈の間のような顔をしていたが――は思い切って唇を開く。

「ね、鬼道君。また後で、教えてもらって良い?」

 僅かに彼は驚いたような、鳩に豆鉄砲を食らった顔をした。……が、直ぐに仏頂面をして少しは自分で調べろ、と一言で一蹴されてしまう。

「……食事が終わったら付き合ってやる」
「! うん、ありがと!」

 そういって、春奈と共に彼女は去っていく。取り残された鬼道は触れたその手をじっと見つめる。……まだ、どこか暖かい気がした。そうやって同じ行動を何度かとっていると、スパイクを磨いていたはずの豪炎寺がいつの間にか彼と顔をあわせていた。

「言ってることとやってることが正反対だな」
「……見てたのか」
「まぁな」

 顔を崩すことなく涼しい顔で言った豪炎寺に、思わず気恥ずかしさから視線を逸らす。
 所謂これがツンデレというやつなのだろうか。円堂を呼びにいこうと立ち上がった鬼道を見ながら、そんなことを豪炎寺はふと考える。
 彼は結局のところ言葉にはしないのだろう。ならば、彼女が気付くしかない。客観的に見れば、それはそう遠くない未来のように見えるが――あえて、黙っておいたほうがいいのかもしれない、と結論付けて首に巻いたタオルを解いた。

B A C K

2010.02.20 // Perfume 「 Puppy Love 」 をイメージ。