タイヤキクリスマス


 寒いのは得意じゃない。
 ぶるりと体を縮込ませてはぁ……と彼女が空を見上げれば今にも降り出しそうな曇り空。せめて学校から帰るまでは降らないでいてくれれば……とそんなことを願いながらシャーペンを何度かノックして日誌を書き始める。
 十二月二十四日。そういえば今日はイヴだ。

「そういえばみんな、浮き足だってるもんなー」

 暖房のついていない教室には一人きり。最後の点検と、ついでに日誌の書き込み。特に今日も大きく変わったことはなく、これが終わったら部活もないから帰れる。
 二十五日には終業式だ。 最後の最後に日直が回ってきたのは不運といえば不運で、幸運といえば幸運だ。外と内側の温度差のせいか曇った窓ガラスを見て、は何度目か分からぬため息をこぼした。

。まだいたのか」
「あれ、鬼道君だ。そっちこそまだいたの?」
「春奈を待っていたところだ。……お前は、日直か?」
「そーだよ」

 ぐるりと巻かれた真っ黒なマフラーに、ゴーグル。制服の上に真っ黒なコート。 寒さのせいもあってかマントは着ていない。それが少しばかり新鮮で、シャーペンを置くと は立ち上がり教室に入ってきた鬼道を迎えようとするが、彼にとめられた。

「この教室は寒いな」
「あー、書いちゃえば終わりだから、暖房つけなくてもいいかなって」
「……まぁ、何とかは風邪を引かないというからな」
「酷い!」
「冗談だ。だが、少しくらい暖かくしろ、コートを膝にかけるなり何なり、あるだろ」

 まるで小言だ。
 そんなことを思いながらは椅子にかけておいたコートをくるん、と自分の膝にかけるとチラリと鬼道を見た。 「これでいい?」と問えば鬼道は「ああ」と呆れながらもうなずき返されそのひとつ前の椅子を引き、彼女に向かい合うようにして腰掛ける。 机一個分の距離を保ちながら、彼は日誌を覗き込んだ。

「日直の仕事は終わったか?」
「後日誌書いたら、終わりだよ。花瓶の水変えたし、ヒーターに水も確認して入れたし、後黒板もきれいにしたし」
「そうか」
 
 ペンが走る音が僅かに耳に届く。ただ、黙々と白いページが黒い文字によって埋め尽くされていく。
 鬼道はの手をじっと見ていて、彼女は自分の文字を追いかけている。


「……よし、終わりっ! 出してくるね」
「ああ。……出し終わったのなら、帰るぞ」
「あれ、鬼道君、春奈ちゃん待ってたって……」
「……さっき、先に帰るとメールが来た」
「え、じゃあ何で追いかけなかったの?」

 驚いて立ち上がったせいだろう、ばさ、とコートが床に落ちる。 落ち着け、とコートを拾い上げて、鬼道はの体にかけると呆れたように「お前が一人で残ってたからだろう」とばっさりと一言言い切った。
 そこでようやく彼女は彼が自分を“待っていた”ことに気づき、狼狽し、困惑した。目を何度も瞬かせて、食い入るように鬼道を見据える。
 視線がかみ合わないのは、おそらく彼がこちらを見ようとしないからだろう。

「……え、え、え?」
「……鈍感」
「うっ……」
「日誌、届けるんだろう。早く行くぞ」

 掠め取るように日誌を奪い取ると、彼女を見ずにすたすたと歩き出して教室の扉を開けた。 寒さをまるで感じないのは、おそらくは彼の内から出てくる体温の熱さのせいだ。
 はあわてて鞄に筆記用具を仕舞うとコートを着てぱたぱたと彼を追いかけていく。
 ……こちらも、顔が赤いのは気のせいではないのだろう。
 職員室に日誌を届け、教室を出れば雪はまだ降り出してはいなかったが朝よりも寒く、ほう、と息を吐けば白い吐息になって空に消える。

「……うわ、息白い。道理で寒いわけだよ……」

「何?」
「……タイヤキくらいなら、奢ってやる。……クリスマス、だからな」

 付け加えるように言った言葉に、は驚いて――そして「うん」と大きくうなずいた。
 クリスマスなのだから、いいだろう。そうだ、今日はクリスマスなのだから。そう繰り返し己には言い聞かせると今にもスタスタと歩いていきそうな鬼道を追いかけて、そしてコートを掴む。 ぎょっとしたのが伝わったが、そこはお構いなしだ。

「じゃあ、私も、クリスマスだし鬼道君に美味しいとこの肉まん奢ってあげる」
「……タイヤキと肉まんじゃ合わないだろ」
「そこはほら、半分こ、ってことで」

 行こう行こうと異議を申し立てるのも無視して腕を引っ張っていくに鬼道は呆れながら――まぁ、クリスマスだから、と彼女が一人で言い聞かせたのとまったく同じ事を考えていたのは内緒だ。
 白い息が吐かれる中で、掴まれたコートを持つ手はじんわりと温かい気がした。
 買い食いをしている途中に、僅かながら雪が降り始めるのは少し後のこと。


* * *


「……鬼道君」
「何だ?」
「……何、じゃなくてね」

 ほかほかの、タイヤキ。中にはぎっしりつまったあんこ。甘い香り。
 屋台の前で先ほどから沈黙しきっている鬼道に視線をくべて、そしては盛大に溜息をついた。
 制服のせいもあるのだろう。ハイソックスではなく黒タイツを履いてくるべきだったかと心底後悔したが、終業式だったのだからすぐ帰れると思っていたのが彼女の運の尽きだったのだろう。ちらつく雪が耳に触れて冷たさに身を縮ませる。マフラーとコートだけではやはり寒かった。手袋もしてくればよかったな、なんてぼんやり思いながら相変わらず仏頂面をしている鬼道にひとつ思い当たる節があり、首をぐっとまげて覗き込むようにして彼を見据えた。

「もしかして、買い食い初?」
「覗き込むな。……別に、初じゃない。……あまりしないだけだ」
「ふぅん? タイヤキは」
「食べたことがあるに決まってるだろ」

 じゃあ何で硬直しているのだろう。視線を送れば、タイヤキの煙でゴーグルが曇ってしまっているらしく珍しく頭の上に乗っけるだけでかけていない表情。切れ長の赤い目。
 こうしてみると顔のつくりは良い……なんて、少し思う。サッカー部の面々は割りと華やかな人間から、親しみやすい人間までばらばらだけれど、鬼道有人という男は付き合いにくさは人の上を行くがおそらく外見を取れば「良い」に部類されるとはひそかに思う。
 もくもくとタイヤキを焼いて煙が出る。香ばしい匂いが二人の鼻に届く。

「……じゃあなんで止まってるの?」
「……別に」
「あ、私カスタードとあんこで」

 鬼道の眉根が動いた。そんな鬼道に気づかずに財布から小銭を取り出して、店員に声をかけると二個、取ってもらう。焼き立ての、ほくほくのタイヤキがすぐに小銭と交換で渡される。思わずの口元が綻んだ。

「……鬼道君、もしかして甘いの駄目とか?」
「そんなことはない」
「じゃあどうしたの、さっきから」


 結局鬼道は何も買わなかった。
 ぱくりと頭からはあんこのタイヤキを口に入れる。不機嫌、仏頂面の鬼道が先ほどから気になるのだろう。タイヤキ屋のすぐ傍にある公園のブランコに腰掛けて、何度も問う。
 それでも、鬼道は何も答えなかった。

「……
「何?」
「タイヤキ、一口くれ」
「ん」

 どうぞ、とカスタードを差し出せば、あんこがいいと言われ、残り半分ほどしかないあんこを差し出せば、手を握られてひょい、と口に入れられる。手を握られた困惑と全て持っていかれたことへの驚愕とセットで、彼女は硬直した。

「……緑茶を買ってくれば良かったな」
「……き、鬼道君、手」
「ああ……すまん」

 ぱっと手が離れるが、妙に手が熱く、慌ててそれを押さえつけるようにしてはぶんぶんと振ってみる。
 ようやく落ち着いて一息つくと僅かながらにも察した違和感に対しての追求をするべく、くるりと彼女はブランコを僅かに動かし、彼に質問を再び投げかける。

「で、なんでさっきから不機嫌?」

 正門出た時は別に何でもなかったよね。
 はふはふとカスタードを今度は齧りながらは尋ねる。鬼道はの前にある手すりに寄りかかって「別に」とだけ返答を返した。キコ、キコと僅かにブランコの鎖が捻って鳴るが、二人は沈黙したままだ。
 はっきりしない物言いにが眉を顰めたが、迫力も何もない鬼道に訝しげには眉間に皺を寄せた。

「もー、さっきからそればっかり。絶対糖分足りてないよ、鬼道君」
「俺はタイヤキは俺が奢る、と言った覚えがあるんだが」
「細かいことは気にしない」

 カスタードも美味しいけど個人的には蜜りんごもお勧め、なんて屋台のタイヤキ屋の常連じみたことを言いながらがカスタードのタイヤキを半分に割る。7:3で割合が明らかに不恰好になったが、それも気にせず、口をつけていない大きいほうを鬼道に差し出した。

「……あんなにタイヤキが安いとは思わなかった」
「いいじゃん、安いっていいことでしょ!」
「……それをクリスマスプレゼントにしようとしてた俺の身にもなれ」
「なんでー? 美味しいし、あったかいし、十分だと思うけど」

 暢気過ぎるようなの物言いに思わず鬼道は溜息のひとつでも零れ落ちそうになったが、カスタードを口に放り込み、ゴーグルを元の場所に戻すと「お前は能天気だな」と一言だけ返すに留める。
 ちらりと視線を落とせば相変わらずワケが分からなさそうにカスタードのタイヤキを頬張り首をかしげている。なんて能天気な女なのだろうと内心彼は心で更に思ったが、今度は言葉にしないでおいた。
 寒さのせいか彼女の鼻は僅かに赤くなっている。赤鼻のトナカイのようだ。


「何?」
「……今から時間あるか?」
「? うん、六時半までに帰れれば」

 時計の針は二時半を指している。水曜日だったことも幸いしてか四時間授業で終わったお陰とも言えるだろう。鬼道はそうか、と一言だけ言うと、その手を差し出した。
 にはもちろん意味が分からず、何度か手と鬼道に視線を行き来させて、最後に「何?」と思わず尋ねる。

「……クリスマスプレゼントぐらい、買ってやる」
「え、いいよ。親からもらうし」
「勘違いするな、……春奈の分の、ついでだ」
「……つまり選ぶの手伝えってこと?」

 要するに、ずっとそのことばかり考えていたのだろう。
 思わぬところに思わぬ伏兵――という例え方はいささか間違っているが、思わずは噴出した。らしいといえばらしすぎる、らしくないといえば、らしくない。
 天下の鬼道有人が、天才ゲームメイカーの鬼道有人が、こんな些細なことで悩んでいるのだ。妙に可笑しくてくつくつと必死に笑いを堪えて手をプルプルさせながら「ごめん」とは謝る。妹馬鹿というか、何というべきか。笑うな、と怒られたが、手を引っ込められる前にその手に手を重ねる。

「……いいよ、手伝う。妹想いなおにーちゃんだもんね、うんうん」
「納得した顔するな、引っ張るぞ」
「はーい」

 ぐい、と引っ張られ、彼女は立ち上がり、その反動で持っていた鞄がぼとりと落ちる。
 バランスを崩して、ぼす、と鬼道に体を預ける形になってしまい思わず目を見開いたは先ほどとは違う意味で「ごめん」とあわてて仰け反った。更にバランスを崩しかけたが、どうにかバランスを取り直す。
 荷物をひょい、と鬼道に拾われるとそのまま投げ渡され、「行くならさっさと行くぞ」とそのまま彼は歩き出した。
 しばらくは呆然としていたが、立ち止まっていると鬼道に抱きとめられるような形で体が当たったことを思い出してしまい妙に体が熱を帯びたような錯覚を覚える。恥ずかしい。妙に、気恥ずかしい。

「……ま、待ってよ歩くの速いよ!」

 も慌てて彼の背中を追いかける。
 12月の風が、彼女の頬を何度も何度も叩くのに、何度も何度も耳にちらりちらりと降る雪が触れるのに、体は熱を帯びたまま――いっそ心地好いとすら思えた。

B A C K

2009.12.18