僕らの丁字路


 授業を受けるのも面倒くさくて、ついでに教室内にいるのも億劫で、誰とも会話をするのが嫌で、授業を抜け出してグラウンドに出る。
 クラスメイトの一人に「保健室にいるから」と言っておいたから授業中いなくても多分誰も何も言わないだろう。

 グラウンドでは女子がマラソンをしているのか同じところをぐるぐる、ぐるぐる回っていた。まるで時計の針のようだ……なんて思いながら、はゆっくりとその横を通り過ぎていく。誰にも見つからなかったのは彼の目立たなさが所以だろうか。鬱屈とした気持ちを払拭するように溜息をひとつつくと、はグラウンドの横を真っ直ぐ通り過ぎていく。保健室に行く気などはさらさらなかった。

 だからといって授業を抜け出してどこか外に行ったとしても目立つこの制服では直ぐにつかまって終わりに決まっている。どうしたらいいのやら、考え込みながら、ぼんやりと道を歩いていくとボールが一つ、落ちていた。
 サッカーボールだった。とても薄汚れて汚い、サッカーボールにはははぁ、と妙に感心したような、でも呆れたような声を上げてそちらに近づいていく。

「誰だよ、こんなとこにボール放置したバカは。あーあー薄汚れちゃってまぁ」

 パンパン、とボールをはたくと土がぼろぼろと落ちていく。は周囲をぐるりと見渡し、人がいないことを確認すると水道に向かってボールを転がしながら歩み寄り、そこに放置された雑巾を水にぬらして盛大に絞るとベンチに腰掛けて盛大にごしごしとボールを磨き始めた。
 汚かったボールは徐々に土がとれて、綺麗な白と黒の二色のみになっていく。その綺麗になっていく様を逐一確認していきながらはジャケットを脱ぎ、Yシャツを腕まくりしラストスパートをかけた。全てが拭い終わったとき、は溜息をついた。感嘆の溜息に等しいそれに気付いた人間は誰一人としていないが、は満足するとそのボールを足元に吸い付かせるようにトン、トンと丁寧に弾ませる。リフティングといえば形はいいが要するに「お遊び」だ。

「何をしているんだ」
「よ、きどー」

 知らぬ間に来ていたゴーグルをかけた少年の姿に、は驚かなかった。同じ学校だ、いても可笑しくはないだろう。それにしても授業中もあのゴーグルはつけたままなのだろうか。彼の頭の中はそちらでいっぱいだった。
 赤いマントに、ゴーグルに、長い髪。どれも中学生にあるまじき外見だ。いや、中学生だからこそともいえるだろう。サッカー部のキャプテンになったという鬼道という少年はゴーグルをはずすことなく、此方を見据えているばかりだ。不機嫌なのは声と眉根が寄っていることからは察することが出来るがはあえてそれに触れることなく、かつボールに視線を送ったまま、反応を返す。

「俺は、何をしているんだと聞いたんだぞ、。サッカー部をやめたお前がどうしてここでサッカーボールと戯れている」
「拾ったんだよ、そこで。汚かったからボール磨いてた」
「……そうか」
「うん」

 会話が途切れて、二人は沈黙した。とん、とんとむなしくボールが跳ねる音がして、グラウンドの方から女子特有の高い声が耳に届く。全てがどこか切り離された空間のようになり、二人の間だけ時間がとまったように微塵も動かない。
 は、一分が一時間のように長く感じられた。どのくらいそうしていたのかも分からなくなった時、おい、という淡々とした声が響く。

、パス」
「……おー」

 正確な、やわらかいタッチでは足の甲でボールを持ち上げ、太ももで一度ボールを受け止め、器用に踵を持ち上げて鬼道へとパスを飛ばす。少し鬼道は驚いたようだった。は埃をぱん、と叩いてベンチにかけておいた上着を羽織りボタンまできっちり締めると「じゃーな」と背を向けた。ボールの泥はもうすっかり綺麗に落ちていて、鬼道が手を触れても汚れることはない。
 彼は、気付けば「」と少年の名前を呼んだ。

「……戻ってくる気はないのか」
「……どこに?」
「決まってるだろう」

 彼は特に何も言わなかった。は漸く振り返って鬼道を見据える。二人の視線がぶつかったが、二人は言葉を交わすことはない。空が青く、鳥の羽ばたく音が妙に耳に届いた。

「俺はさー、サッカーは楽しいのであってほしーわけ」

 唐突に、は呟いた。それは鬼道に言うというよりも、自身に言い聞かせるに近かった。鬼道はの言葉を待つ。戻ってくるつもりはないということなど、随分昔から知っていたから――彼の言葉を聴きたかった。彼自身の言葉で、彼自身の思いを。
 帝国の制服をまとったは困ったように、笑って言う。

「ウチはすんげー強いけど、俺のやりたかったサッカーはウチじゃやれねーからさー」

 別にレギュラー取れなかったから抜けたわけじゃねーよ、と念を押しながらもは言う。もう既に授業時間は半分を過ぎているから、今行った所で意味はないだろう。無論も出るつもりなんてないが、鬼道と話すつもりもなかった。誰とも話をしたくない状態だったから授業を抜け出したのにこれでは何も意味がない。
 ……だが、はまるで魔法にかかったかのように唇が動いた。それを鬼道はただ、黙って聞いている。

「……だが、出場できる大会は限りなく少ない」
「そーだな。強いのとは、やってみてーかも。でもほら」

 ボール一個あれば、一人でもサッカーは出来るだろ?
 彼はそういって歯を見せて笑った。しかし鬼道は「サッカーは11人でやるものだ」と淡々と言い返す。は苦笑を浮かべて降参と言わんばかりに両手を肩まであげて「そーだな」とだけ返しながらも踵を返して歩き出した。両手をズボンに突っ込んで、振り返らない。その後姿に対して鬼道は苛立った。全てを悟ったような、何かを諦めたような、その態度が気に喰わない。


「まだ何かあんの?」
「……俺は、お前とサッカーがしたい」

 彼のパスは正確で、まるで定規で引いた線のように鋭く、的確な場所に投げ込まれる。それでいて彼の性格を現すような飄々としたボール捌き。拾い玉を確実にゴールへ入れ込む執念。たった二週間だがサッカーボールを共に追いかけた中で見たものは鬼道の心をつかんだ。彼のパスを受け、彼へパスを回し、頂点に君臨するのも悪くない……と本気でそう思った。
 けれど、彼は姿を消す。元々推薦で入った人間ではないから、サッカー部を退部しても変わらない。その後の彼は授業を受けるだけ受けて早々に帰っているという話を耳にするばかりだ。同じクラスにいるサッカー部の仲間は「彼は元々サッカー向きの人間ではない」と評していたが、鬼道にはそうには思えず――そして、気付けば一年という月日が経過し、お互いに二年生になっていた。
 少し、は笑った。それは呆れたような苦笑のような、それでいて楽しそうな笑顔で、鬼道からしてみれば始めて見るような笑い方だ。


「俺さー、お前のそーいう直球なとこ、嫌いじゃないよ」
「なら」
「でもバカだなー、お前。お前、キャプテンだろ? 規律とか、周りのこと見るのはキャプテンの役目ってやつじゃん。ここで俺いれたらどーなるよ。もうすぐ雷門ってとこと練習試合なんだろ? 仮に俺が入るつってもさ、一年のレギュラーとった洞面とか辺見は許してくれねーって」

 逃げた俺に帝国の居場所はねーわけよ。実にあっさりと今日はいい天気だなと言うように何気なく言った言葉に鬼道は盛大に溜息をついた。
 何を言っても無駄だということは最初から分かってはいたが、それでもある程度心は動かされるのではないかという期待を抱いていたからこそ、確固たる、それも正論を突きつけられて言い返すことなく彼は沈黙する。は振り返らずにさらりと「俺は俺のやりたいサッカーがしてーんだよ」と言い切る。穏やかに吹いていた風が、先ほどとは打って変わって強く二人を打ちつける。グラウンドから聞こえてきていた女子の声は既になくなっていた。

「あんな弱小の学校に、負けるわけがない」
「そーか?」
「……何が言いたい?」
「何が起こるのかわかんねーのが、サッカーだって話だよ」

 じゃーなっ、と片手を上げてはそのままあっという間にいなくなってしまった。
 残された鬼道は怪訝な表情を緩めることなく――を睨みつけるに等しい目つきで見据えていたが、やがて二人の道が違えたことへの哀愁を向けながらも、彼もまた振り返ることなく己の来た道を戻っていく。
 二人を裂くように、静かに風が吹く。はらり、ひらりと若葉が風に飛ばされ、舞った。



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 2009.11.02 こっそり諸事情で此方にUP.